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プロ1号の大切なバットがどこにもない

 金本知憲氏がプロ野球人生の秘話を語る連載「21年間の舞台裏」。第3話は記念バットの記憶。一流打者になる予感を持てず、紛失した大切なものとは…。トレーニング恩師の予言が的中することなど当時は想像もできなかった。

 後悔していることがあります。大切なバットが、どこにもないのです。

 カープ入団2年目の93年9月4日に、三浦大輔投手から打ったプロ1号本塁打は大切な思い出。広島のジムでお世話になっていた平岡洋二代表との会話を思い出します。「プロ1号のバット、ワシにくれんか」。そんなふうに頼まれたとき、僕のなんて取っておいてもしょうがないでしょう?と言って断りました。ジムには、カープで活躍した名選手の記念バットやユニホーム、スパイクが飾られていました。実績もない僕みたいな選手のバットを横に並べられたら恥ずかしい。そんな気持ちがあったのです。

 「お前もいつか、何百本もホームランを打つような選手になるかもしれんけえ、ワシにくれんでもええけど、大事にとっておいたたほうがええで」。この人は何を言うとるんじゃ。そんなことあるわけないじゃん!そう思いながら、記念バットを使い続けていました。

 いくら記憶をたどっても思い出せません。プロ2号は初本塁打から20日ほどたった9月25日に、東北福祉大学時代の同級生で横浜の斎藤隆投手から打ったのですが、どんなバットを使ったのか…。1号のバットを大切にしていたわけでもないし、誰かにあげた記憶もない。おそらくどこかの球場で折れて、無意識に捨ててしまったのだと思います。ほかのものをなくしてしまってもあきらめがつくけど、このバットだけはもったいなかった…(笑い)。僕ほど記念球とか記念バットに無頓着だった選手はいないかもしれません。理由は簡単。自分が長くプロの世界でやれるとは思っていなかったからです。

 ホームランバッターになる予感はまったくありませんでした。まして将来、田淵幸一さんの474本を超えることなんて、夢で語るのも失礼な話。でも、ホームランを意識し始めたきっかけはありました。あれはプロ5年目ですから三村敏之監督時代の96年のシーズンのことです。5月8日の巨人戦(東京ドーム)で、元カープの川口和久投手から、長嶋茂雄さんのセコムの看板を直撃する本塁打を打ったのです。ジャイアンツ松井秀喜選手の飛距離に対抗心を持ち始めたのは、このころからです。

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