吉田義男さん死去 前阪神監督・岡田顧問「私にとっての恩人。寂しい気持ちでいっぱい」 虎レジェンド突然の別れに悲しみの声 

 「天地会」でVナインに囲まれて乾杯する吉田義男さん(中央)=2014年1月
 阪神OB総会に出席する(左から)藤川監督、吉田さん、岡田顧問=24年11月
 リーグ優勝の祝勝会。(左から)岡田、吉田監督、岡崎球団代表、掛布、中西、真弓、バース=85年10月16日
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 阪神は4日、球団初の日本一に導いた元監督で野球評論家の吉田義男さんが、3日に脳梗塞のため死去したことを発表した。京都府出身。91歳。現役時代は華麗かつ堅実な守りで「牛若丸」と言われ、名遊撃手として活躍。引退後は3度にわたり合計8年、阪神の監督を務め、1985年には21年ぶりのリーグ制覇、球団史上初の日本一に導いた。現役時代の背番号「23」は永久欠番。阪神・岡田彰布オーナー付顧問は「この度の訃報に心よりお悔やみ申し上げます。吉田さんとは野球はもちろん、プライベートを含めて長いお付き合いをさせていただきました。私にとっての恩人です。吉田さんとの一番の思い出は、やはり1985年の日本一です。若くて夢中でプレーしていた私たちを引っ張っていただきました。昨年12月に入院されるまで元気にゴルフをされていましたし、『退院したら食事に行きましょう』と話していたのですが…。寂しい気持ちでいっぱいです。改めて感謝の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。

 ◆阪神・掛布雅之OB会長「自分の野球人生にぽっかりと大きな穴が開いてしまった感じです。入団2年目に、吉田監督に三塁のレギュラーにしてもらいました。日本一になった1985年に『ウチには日本一の4番バッターがいる』と言ってもらえたのは、最高の名誉でうれしい言葉でした。殿堂入りの報告を直接することはかなわなかったが、少しは恩返しできたかもしれない。本当にありがとうございました」

 ◆阪神・藤川球児監督「突然の訃報に驚いています。偉大な大先輩であり、またお元気な姿で再会して叱咤(しった)激励いただけるつもりでいましたので、残念でなりません。素晴らしい先輩方が作り上げた伝統を、私たちが責任を持って受け継ぎ、また次の世代につないでいきたいと思いますし、天国の吉田さんに良い報告ができるように、目の前のことに全力を尽くしてシーズンを戦っていきます。故人のご冥福を心よりお祈りいたします」

 ◆阪神・粟井一夫球団社長「この度は突然のことで、大変驚いております。心よりお悔やみ申し上げます。昨年もお元気な姿を拝見しておりましたので、信じ難いというのが正直な気持ちです。現役時代は、華麗な守備で『牛若丸』と称され、監督としても日本一に導かれるなど、多くの功績を残し、現在も『23番』の背番号は当球団の永久欠番となっております。また、退団後も球団関係行事へ献身的にご参加いただくなど、長きにわたって球団の発展へ貢献いただいたことに対し、あらためて感謝の意を表するとともに、これまでのご功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします」

 ◆田淵幸一氏(75~77年、吉田監督の下でプレー)「前任の村山実さんは熱血漢で吉田さんは冷静さを併せ持っていた。そんな指揮官の人情に触れたのが75年オフ。同年に43本塁打でタイトルを獲得し吉田監督に大阪のステーキハウスに呼ばれた。なかなか監督にタイトルを祝われることなどない。うれしかったし、よく覚えている。記念に自分でネクタイを作り吉田さんにも渡した。監督時代はコーチを通さず直に言ってくれる人だった。最後に会ったのは2年前の阪神OB会。とてもお元気だったが…。心からご冥福をお祈りしたい」

 ◆真弓明信氏「最近顔を見ていなかったから、心配はしていました。ショックです。一番の思い出は、コンバートを言われた時。前の年は二塁を守っていたが、(監督に)就任した時に『外野をやってくれ』とね。その後、優勝の話になると、『真弓がコンバートをOKしてくれたから』とよく話してくれました。(09年に)監督になった時には『自分の色を出して思い切ってやれ』とよく言われました。本当に残念。タイガースの一番の貢献者です」

 ◆日本ハム・新庄剛志監督「突然の訃報に驚くとともに、とても悲しく残念な思いです。タイガースで監督と選手としてプレーした2年間、僕のことを温かく見守ってくれた方でした。吉田さんに『面白い』と思ってもらえるような野球をこれからも続けていきます。心よりご冥福をお祈りいたします」

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