関西のオカンがよく口にする「明日のパン」が本に! 他の地域では使わない不思議な”あいさつ”の正体は? 東京の編集プロダクションがひも解く

■思い出がよみがえる『明日のパン』

「明日のパン」を口にするのは、関西のオカンだけ。

数年前のTV放送で、驚いた関西人も多かったはず。関西で育った関西人にはごく日常的なフレーズだが、他の地域では「明日のパンってなに?」と不思議がられているようだ。

そんな「明日のパン」をテーマに、関西にゆかりのある21人が、それぞれの家族や暮らしの記憶をつづったエッセイ『明日のパン』が7月16日に発売された。版元は東京のコンテンツメーカー(編集プロダクション)である有限会社ノオトが立ち上げた出版レーベル「ノオトBOOKS」。

著者はエッセイストやライター、映像作家や社会学者、経営者、さらに芸人の川西賢志郎さんや元宝塚歌劇団星組トップで俳優の紅ゆずるさんまで幅広い。

読んでいると、著者たちのパンへのこだわりっぷりに驚く。4枚切りのパンにたっぷりとバターを塗った上からスティックシュガーをふりかけて焼く食べ方や、風邪で寝込んだときに食べた蒸しパンや、落ち込んだときに買ってくれた「ちょっといいパン」など。尽きないエピソードに、つい、自分はどうだっただろうと思いを馳せる。

それにしても、なぜ、東京の編集プロダクションが、関西の「明日のパン」をテーマにしたエッセイ集を刊行したのか。ノオトBOOKS編集長の宮脇淳さんと、本書の制作に携わった同社社員の編集者に話を聞いた。

■東京の会社が「明日のパン」に注目したきっかけ

-そもそも、なぜ東京にある有限会社ノオトが、「明日のパン」というフレーズに注目したのか?

宮脇さん:私は和歌山出身で、実家でも母が毎日のように「明日のパン」を口にしていました。あまりに当たり前に耳にするフレーズだったので、当時は気にも留めませんでしたね。関西出身の妻も東京生活がずいぶん長いのに、毎日のように「明日のパン」を心配しています。

書籍の企画を考えていた時期に、関西出身の友人がFacebookで「私の頭の片隅にはずっと『明日の朝のパン、どないしょ?』がある」という投稿を見かけました。会社帰りにパン屋を見つけると反射的に「明日のパン」を買ってしまい、また彼の妻も同じようにたくさんパンを買って帰るので、かぶると家が“パンまつり”状態になる(苦笑)、といった内容でした。テーブルいっぱいにパンが並んだ写真も添えられていて、すごくほほえましいご夫婦だと思ったんです。

考えてみると、「明日のパン」というフレーズが関西で毎日のように使われていることが不思議ですし、同じ言葉でも、それぞれの家庭によって異なるエピソードや思い出があるんじゃないか。いろいろな関西人の「明日のパン」を集めたら、単なるパンの本ではなく、暮らしや家庭についての面白い本になりそうだな…。そう直感して、企画会議に出したのがきっかけです。

■「明日のパン」をエッセイ集にした理由

-なぜエッセイ集に?

理由は2つあります。1つは、おそらく「明日のパン」の謎には、明確な答えがないだろうと思ったからです。ネットなどで「明日のパン」を調べると、まいどなニュースさんの過去記事やテレビ番組で大阪のオカンの口癖として紹介された動画が見つかりました。「関西人は本当に言う」「頭の中でも普通に考えている」と盛り上がる一方で、なぜ関西では毎日のように「明日のパン」を気にするのかという謎は、検証されていませんでした。

そこで「明日のパン」の謎を解明すべく、「探偵ナイトスクープ」をイメージし、専門家への取材も交えて調査してみましたが、100%解明できていません。

とはいえ、絶対的な答えがないことは予想していたので、調査結果はコラムとして本書に収録しつつ、やはりメインはエッセイが良いだろうと考えました。関西ゆかりの執筆者に、自分の体験や家族の記憶を書いてもらうことで、「明日のパン」の輪郭が見えてくるのではないか。たくさんの個人的な物語を重ねるエッセイによる表現が、「明日のパン」の正体に近づく方法なのではと考えたのです。

もう1つの理由は、AIが急激する時代に、人間にしか書けない本を作りたかったからです。AIはインターネット上にある情報を集め、整理して、わかりやすい文章にするのが得意ですよね。でも、その人が子どものころに食べたパンの味や母親の声、家族と過ごした朝の食卓の空気感などは、AIには絶対に書けません。

『明日のパン』に収録のエッセイは、書き手一人ひとりが実際に生きた時間から生まれた文章です。個人の経験や家族との関係、言葉になりきらない感情を残すには、やはり複数の書き手によるエッセイ集がもっともふさわしいという考えにいたりました。

-どんな人に読んでもらいたい?

「明日のパン」は、関西人のDNAを刺激するような言葉です。まずは関西に住んでいる方や、関西出身の方に手に取っていただき、「うちではどうだったかな」と、自分の記憶と重ねながら読んでもらえたらと思います。

ただ、本書に出てくるのは関西のオカンと食パンの話だけじゃない。母親に言及した作品は多いですが、それ以外にも父親やきょうだい、パートナー、子どもたちとの関係を描いた作品もありますし、アルバイト先のマスターや海外で知り合ったおじさんまで登場します。

「明日のパン」というフレーズの先に、翌朝のご飯を用意すること、そして誰かの暮らしを気にかけること、人と人とがどのようにつながっているかという物語があります。たまたま本書に出会った方には、ぜひ、身近な人や自分の日常を思い出しながら読んでもらえるとうれしいですね。

■非関西出身の編集者に聞く

ノオト社員の大半は関西以外のご出身だそうだが、「明日のパン」というワードや企画を聞いたとき、どう受け止めたのだろうか。

関東在住の編集者Tさんは、「明日のパン文化が全くない家で育ったので、最初は状況がつかめず、ポカーンとした」と振り返る。著者とのやりとりを重ねる中で驚いたのが、関西のスーパーにいると買い物客の誰かが「明日のパン」と話す声が聞こえてくるというエピソードだったそう。

「いつも利用するスーパーでは、周囲に聞こえるような声で会話しながら買い物する人は、あまりいないからです。今度関西に行ったら、そういった生活の細部にまで耳をすませてみたいです」

千葉県出身の編集者Aさんは、「明日のパン」を、生活を未来へつなぐ小さな行為として受け止めたという。

「明日食べるものを用意するのは、明日も生活を続けていくこと。ただ、そういうと関西の方から『そんなたいそうなモンちゃうで』と言われそうな気がします。制作を通じて少しわかったようで、でもまだつかみきれない。その距離感を含めて面白いテーマでした」

また同じく千葉県出身の編集者Mさんは、関西出身でない母も「明日の朝ごはんがない」と心配し、家族にパン買ってきてと頼んでいたエピソードを思い出したそう。

「『明日のパン』というフレーズでなくとも、同じように翌朝の食事を気にする家庭は各地にあります。関西以外の方にも、きっと重なるエピソードがあるでしょう」

■社内唯一の関西在住社員が気づいたこと

ノオトBOOKS編集部のKさんは、同社で唯一の大阪在住編集者。東京の社員から「明日のパンって、本当に明日食べるの?」「方言なの?」と聞かれ、「『明日のパン』の言葉は一般的ではないんだ」と衝撃を受けたそう。

 「制作を進めるうちに、『明日のパン』を気にするのは一緒に暮らす相手の生活を思いやる行為でもあることに気づき、関西人ならではのコミュニケーションの形が見えてきました。今では『明日のパン』を気にする行為は、とても尊いものだと思うようになりました」

■「おもろいオカン」の奥にある、やさしさを伝えたい

「明日のパン」は、その言葉の響きの可笑しさから「大阪のオカンのおもろい口調」と受け取られがちだ。しかし、宮脇さんは「本書では、決して関西のオカン=単におもしろいおばちゃんみたいな扱いをしたくなかった」と話す。

「『明日のパン、まだうちにあったかな』という言葉の裏には、『明日の朝食を用意しておかないと、家族が困るのでは』という心配があります。それは大切な人の生活を気にかけるやさしさから、自然に口をついて出る言葉なのだと思うのです」

実は本書に出てくるのは、家族との温かいエピソードばかりではない。

「親子間に複雑な印象を抱えている人や、人生に苦しみもがく人のエッセイもあります。それでもパンの味や食卓の風景、何気なくかけられた言葉を通じて日常生活のなかにある大切なものを描いてくれました」

最後に宮脇さんは、出版レーベル「ノオトBOOKS」を立ち上げた思いを語ってくれた。

「ノオトBOOKSのコンセプトは、読書の時間をプレゼントする本づくりです。本を読んでくれた関西人が、関西にゆかりのない家族や友人に『この本、読んでみて』と手渡してくれたら、最高にうれしいですね。言葉そのものを知らなくても、その奥にある気持ちは共有できるはずです」

「明日のパン」という言葉には、誰かと暮らす大切な時間とささやかな愛情が詰まっている。

(まいどなニュース特約・國松 珠実)

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