【漫画】中学受験は終わったのに…親の胸を今も波立たせる「受けていない難関校」への未練 「受験していればもしかして…」

中学受験は結果がすべてと思われがちですが、終わったあとに残るのは合否だけではありません。選ばなかった選択肢や、耳に入ってくる他人の結果が、思いがけず心を揺らすことがあります。その揺れが、後から静かな後悔に変わることもあります。

■「どこ受けた?」が呼び起こす、終わらない受験

東京都在住Aさん(40代)の息子が進学したのは、最難関校の一歩手前に位置する中高一貫校でした。同級生の多くは第一志望に届かなかった子どもたちで、入学後しばらくすると自然と「どこを受けたのか」という話題が広がっていったそうです。

それぞれの受験歴をなぞるような会話の中で、息子が持ち帰ってきたのは、少し引っかかる一言でした。

「◯◯君、灘に受かったけど、蹴ってこの学校に来たんだって」

その言葉は、すでに終わったはずの受験の記憶に、再び火をつけるには十分でした。

■「買わなかった宝くじ」を惜しむような感覚

Aさんの家庭では、受験は首都圏に絞っていました。遠方受験は移動の負担や感染症リスクもあり、現実的ではないという判断でした。仮に合格しても、進学には多くのハードルがあります。

また、第一志望校に合格できる可能性を信じていたこともあり、あえて受験の幅を広げる選択は取りませんでした。実際、模試では合格可能性50%という判定も出ており、無謀な判断ではなかったはずです。

それでも、「灘中に合格した」という話を聞いた瞬間、心のどこかがざわつきました。

受けていない学校には、合格も不合格もありません。つまり、落ちてもいないのです。そう考えると、どこか『傷ついていない領域』が残っているような感覚すらあります。

しかし同時に、こんな思いも浮かびます。

宝くじは、買わなければ当たりません。受験もまた、受けなければ受かることはありません。

冷静に考えれば、受けていたとしても結果は厳しかった可能性が高いはずです。それでも受験が終わった今だからこそ、「もしかしたら」という、少し都合のいい想像が膨らんでいきます。

どうせ当たらなかっただろうとわかっている宝くじを、なぜか「買っておけばよかった」と思ってしまうような、あの感覚に似ていました。

■その“当たりくじ”は、そもそも存在していなかった

そんなモヤモヤを抱えたまま時間が過ぎ、ある日、クラスの保護者懇親会で思いがけずその話題に触れる機会がありました。例の「灘に受かっていた子」の母親と顔を合わせたのです。

少し迷いながらも、Aさんは噂についてそれとなく尋ねてみました。

「◯◯君、灘に受かっているのに、蹴ってここに来たって本当ですか?」

すると返ってきたのは、拍子抜けするほどあっさりとした答えでした。

「まさか~、灘は不合格でしたよ」

その一言で、それまでのざわつきが一気にほどけていきました。同時に、どこか力が抜けるような感覚もありました。

あれほど気になっていた「合格していたのに来なかった」という話は、いつの間にか形を変えた噂にすぎなかったのです。

■それでも残る、選ばなかった後悔の正体

事実を知ったあと、Aさんの中に残ったのは安堵だけではありませんでした。むしろ、「その話にここまで揺さぶられていた自分」への、少しの苦笑いのような感情でした。

本来であれば関係のないはずの学校。受けてもいない試験。それなのに、「合格していたかもしれない可能性」を勝手に想像し、そこにわずかな後悔を重ねていたのです。

しかも、その前提となる“当たりくじ”自体が、実際には存在していなかったのです。

それでも一度膨らんだ「もしも」は、簡単には消えません。

受験期には現実的な判断を積み重ねてきたはずなのに、終わったあとになると、人は驚くほど都合よく可能性を拾い上げてしまいます。そして、受けなかったという事実だけを切り取り、「やっておけばよかった」と感じてしまうのです。

受験は終わっても、「選ばなかった選択肢」は心のどこかに残り続けます。たとえそれが、存在しなかった可能性であったとしてもです。買わなかった宝くじに、後から価値を見出してしまうように。受けなかった試験に、わずかな期待を重ねてしまうように。

その後悔は少し滑稽で、しかしとても人間らしいものなのかもしれません。

(まいどなニュース特約・松波 穂乃圭)

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