マスターズとオーガスタの思い出~その1~鉄爺、旅の徒然#6

 今年もまたこの季節がやって来た。世界最高のゴルフトーナメント、マスターズが4月6日に開幕する。明け方に目覚ましをかけ、布団に横になったままテレビで中継を観戦する。ゴルファーにとって夢のような聖地、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブに自らの足で立ってから31年が経った。

 私が取材したのは1992年の大会。ちなみに後にオーガスタの申し子となるタイガー・ウッズが初めてグリーン・ジャケットを着たのが1997年のこと。92年当時はタイガーはまだ16歳の高校生だった。

 このときの優勝者はフレッド・カプルスだった。当時、日本では知る人ぞ知るというレベルの選手だったが、オーガスタを埋め尽くした観衆は熱狂した。91年はイアン・ウーズナム(ウェールズ)、90、89 年はニック・ファルド(イングランド)、88年はサンディ・ライル(スコットランド)と欧州勢が制し、4年間にわたって地元アメリカ勢は優勝から遠ざかっていた。

 5年ぶりに栄冠を地元に取り戻すべく最終日の18番ホールのグリーンに向かってフェアウェーを歩くカプルスを、「フレディ、フレディ」という大声援が包んだ。そのときの足元が揺れ、震えるような感覚はいまも鮮明に覚えている。

 コースでの取材は別にして、約1週間にわたるオーガスタという町での体験は自分にとってスポーツ記者人生にとどまらず、生涯を通しての深い思い出に彩られている。毎年、この時期になるとはるか昔のこととなった当時を思い、ひとり感慨にふける。

 オーガスタという町はアトランタを州都とするジョージア州の東端に位置するのどかな地方都市だ。ジョージア州ではアトランタに次いで人口の多い町だというがそれでも20万人足らず。コースは町の中心地からほど近い場所にある。

 そのときはまずアトランタへ飛び、空港近くのホテルで一泊してからレンタカーを借り、約300キロ離れたオーガスタへひとり高速道路をひた走った。外国で車を運転するのは、ハワイ、サイパンなどで経験はあったが、巨大都市の空港からクモの巣のような高速道路網を抜けて目指すハイウェーに入るというだけで、緊張で体が震えた。もちろんカーナビなどない時代で、頼りは英語しか書いていない一冊の地図帳だった。

ところが、いざ車を走らせてみて感心したことがある。さすがはモータリゼーションの本場ということなのか、道路標識で行き先が示されるタイミング、示される情報が実に適切で、気がつけば車はちゃんとオーガスタに向かっていたのだ。こうなれば後は一本道。降りるインターチェンジさえ間違わなければ大丈夫だろう。気が大きくなって、カーラジオのスイッチを入れた。

ハイウェーはほとんどカーブがないかわり、見渡す限り低木が生い茂ったような景色の中を緩やかなアップダウンを繰り返しながら、東へ続いている。そんな時間にラジオからジョージア州の州歌でもあるスタンダードナンバー、「わが心のジョージア」が流れてきたのだ。なんというタイミング。これ以上のお出迎えはなかった。

 インターチェンジを降りて5分ほどのところにあるホテル…というよりモーテルにチェックインを済ませてから、これも車ですぐのところにあるオーガスタ・ナショナルGCへ向かった。町中にもかかわらず広大な専用駐車場があるが、大会前ということもあって車の数も知れている。敷地の中に設けられたプレスセンターでエントリーを済ませ、取材証などのキットを受け取る。このあたりになると日本人の顔がポツリポツリ見えるようになった。同じ業界の記者が数人は来ているはずだ。

 手続きの最後に、「大会後のコース体験ラウンドにエントリーするか?」と尋ねられた。月曜日に世界から集まっている取材陣の中から抽選で選ばれた数十人が、日曜日の大会最終日と同じコースセッテイングのまま18ホールをラウンドできるというのだ。「もちろん」と返事をした。抽選結果の発表は第3ラウンドの土曜日、プレスセンターに紙を貼り出すという。大学入試の合格者発表の掲示板の前に立ったときの気分がよみがえった。(この項つづく)

(まいどなニュース特約・沼田 伸彦)

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