工港・海抜0メートル地帯の守護神「尼ロック」 防潮堤の内と外…1メートルの水位差を結ぶ

 兵庫県尼崎市の南部臨海エリアには、地面が海水面よりも低い海抜0メートル地帯が広がっています。その広さは実に市域の3分の1。工都を浸水から守っているのは、周囲を取り囲むように建設された防潮堤と「尼ロック」。日本初のパナマ運河方式の閘門(こうもん)でした。

■防潮堤を船が通過できるように

 兵庫県尼崎市の南部は、古くから工場地帯として栄え、地下水の汲み上げなどで地盤が沈下、戦中から戦後の一時期は水没の危機にありました。特に1934年の室戸台風、1950年のジェーン台風の時には大きな浸水被害を受けています。そこで1951年から、国と県、市がそれぞれ費用を負担して、尼崎市から一部西宮市を含む海岸地帯全体をカバーする形で、防潮堤を整備して水害対策を進めました。

 ただ、工場地帯には海からの輸送が不可欠です。堤防で守るだけではなく、船の通路を確保しないといけません。そのために尼崎市の海岸に閘門が設けられました。閘門というのは、二つの水門で仕切られた水路です。水位差のある二つの水面を繋いで、船が行き来できるようにするために建設されます。水門を開け閉めすることで、防潮堤の内側と外側の水位を調節して陸地を守っているのです。

 二つの水門の動きはこうです。基本的に、二つの水門は常時閉じています。海側から船が来ると、まず海側の水門を開けます。船が入ると、海側の水門を閉じます。そして陸側の水門を開けると、水路の中の水が陸側の水面に流れ込んで、水路の水位が下がります。船が水路を出て陸側の水面に入ると、また陸側の水門を閉じて終了です。

 反対に陸側から船が近づくと、陸側の水門を開けます。船が水路に入ると、陸側の水門を閉じて、海側を開けます。すると海水が流れ込んで、水路の水位が上がります。船が水路から出ると、海側の水門を閉じて終了です。

 こういう動きをする閘門をパナマ運河方式と言います。中米のパナマで、陸地を越えて太平洋と大西洋を行き来できるように建設されたパナマ運河には、こういう閘門が上り下りそれぞれ三カ所あって、エレベーターのように約26メートルの水位差をクリアしているのです。

 尼崎にこの閘門ができたのは1954年。続いて第二閘門が1964年に完成しています。その後、第二閘門は1994年に、第一閘門も2002年にリニューアルされています。前後の水門の間の水路部分は幅17メートル、奥行き90メートルで、500総トンまでの船が通れます。

 なお、地元ではこの閘門を「尼ロック」と呼んでいます。

■尼ロックを船で通過すると

 閘門のコントロールは人の手で行われています。尼ロック東側の集中コントロールセンターに常駐していて、接近してくる船を監視して、水門を開けるのです。実際に船で近づくと、かなり素早く見つけて開けてくれます。たまーに、なかなか気付いてくれないときには汽笛を鳴らしてアピールします。

 水門が開いて、信号が赤から青に変わったのを確認して、水路に入るとすぐに後方で水門がゆっくりと閉まり始めます。完全に閉まると、今度は前方の水門が開き始めます。もちろん満ち潮引き潮で変わるのですが、普段でだいたい1メートルほどの水位の差がありますから、開くと同時に水路の水が前方に流れ出して、水路内の水位が下がります。

 完全に水門が開いて、出口側の信号が青になると、前進して閘門を抜けることができます。

 抜けた先は蓬川と庄下川が流れ込む水面、つまり河口に当たる部分で、大規模な工場の立ち並ぶエリアです。

 土砂や資材などを積み卸しして運搬する船が、この閘門を年間約7000回ほど通過するといいます。

 尼ロックのコントロールセンターの1階は見学のできるPR施設になっていますが、通常は団体のみの予約制です。ただ、毎年夏場には期間限定で一般公開されるようです。また、施設そのものは西側の公園からいつでも見ることができます。狭い水路ぎりぎりに大きな船が行き交う様はなかなか迫力があります。

 知名度はいま一つ、それでも尼崎市南部を水没から守り続ける尼ロック、ぜひ一度お立ち寄りください。

(まいどなニュース特約・小嶋 あきら)

関連ニュース

ライフ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    リアルタイムランキング

    注目トピックス