ベラルーシ大規模デモ…そもそもなぜ起こった?参加者が“国旗じゃない旗”を掲げる理由

 ご存知の通り、現在、ベラルーシではルカシェンコ大統領の6選に反対するデモに多くの人々が集まっています。首都ミンスクでは10万人超が参加するほど。日本とあまり縁のない東欧の小国のデモなので実態に詳しい方はそんなに多くないことでしょう。そこで今回のデモのちょっとした”秘密”に触れたいと思います。“言われんかったら、わからへん話”…取り上げるのはデモ参加者が持っている旗についてです。

 ベラルーシの国旗は、赤と緑に特徴的な模様が入ったデザインです。この旗は白ロシア・ソビエト社会主義共和国時代の旗をモデルに作られ、1995年から使われています。日本では特に有名ではありませんが、この旗が国旗であるとまず認識してもらわないと今から言いたいことが伝わらないので、前提条件として頭に入れておいてください。ちなみに、白ロシア・ソビエト社会主義共和国の旗も赤と緑ですが、特徴的な模様はなく「鎌と槌」のマークが入っています。

 そして、いよいよ今回デモ参加者たちの多くが掲げている旗です。「赤と緑」ではなく上から「白赤白」の3ラインのデザインになっています。

 そうです。この「白赤白」の旗こそ、今回話したい“言われんかったら、わからへん話”なのです。まず、この旗にはこのような伝説があります。

 時は中世、ヨーロッパの騎士団との激しい戦いの中、ベラルーシの若き国王は、自分の頭に巻いていた包帯を取り、頭上に掲げて人々を鼓舞し、そして勝利した。その包帯は、国王の血がついており、ちょうどこの旗のようだった。

※あくまで一説です。いろんな説があるので、この説はあなたが知っているものではないかもしれません。

 そして近代では、1917年のロシア革命でも登場し、人々は、この旗を振り「生まれ故郷のために!自由なベラルーシのために!」と大合唱をしたそうです。

 赤・白の色が選ばれたのは、ベラルーシの歴史的に由来する紋章の「パゴーニャ(追求)」が赤の背景に白色の騎士を描いたものであったからと言われ、赤と白の組み合わせは、この旗だけでなく、ベラルーシの民族衣装など文化に多用されています。

 この「パゴーニャ(追求)」は、14世紀後半のリトアニア大公国時代にも国章となるなど大変有名な紋章です。歴史好きな方ならもしかすると、ご存知かもしれませんね。そして、この旗は、ベラルーシがポーランドの一部であった時、国の独立を求めて闘うベラルーシ西部の勢力が使用していたこともありました。

 その後、ソビエト連邦が崩壊してすぐ、1991年から1995年までの間、白赤白の旗は公式な国旗になったのですが、1995年、ルカシェンコ大統領の主導で国旗を決定する国民投票が行われ、現在のベラルーシ国旗が採択されました。その結果、白赤白の旗は歴史の中に置き去りにされました。

 このように、この白赤白の旗は長い歴史の中で国家独立闘争の象徴として掲げられてきたものなのです。現政権のように、この旗を反対勢力の象徴と考えるのは誤りでしょう。現在では非公式で伝統的なものとなってしまいましたが、依然としてベラルーシの人々が独立のために掲げているということは変わりません。

 ベラルーシの友人は「私たち若者は国旗に対して嫌なイメージは持っていません。白赤白の旗には自由や独立を感じている」と話しています。私も同感です。ベラルーシのルカシェンコ大統領といえばコロナ騒動の対応にあたって「ウォッカを飲めば大丈夫」と発言したことで話題にもなった人物ですが、多くの国民は長期政権に疑問を持ち、6選にNOを突きつけています。その象徴となっているのが「白赤白」の旗なのです。

(まいどなニュース特約・クカレカ マリア)

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