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知っていますか「模擬原爆」のこと…広島・長崎の前に、日本各地で投下訓練 大阪に今も残る被害の跡

広島・長崎が人類史上初の核攻撃を受けた日から、今年で75年。原子爆弾が投下された日は日本人なら誰もが知っているが、その約2週間前から、米軍が5トン爆弾を使って原爆を投下する訓練を日本上空で行っていたことを知る人は、意外に少ないのではないだろうか。

■単独で飛来したB29

大阪市の南部に位置する東住吉区は当時、都市の中心部から離れた農村地帯だった。そのため空襲による被害は、市の中心部に比べると軽く済んでいる。

この地に代々住んでいる古老は、「防空壕は一応つくってありました。夜間の空襲なら、防空壕に入るより、畑に出てじっとしてるほうが安全でしたな。畑には灯りがまったくないから、攻撃を受けへんのです」と話していた。

しかし、このあたりの地域がまったく無傷だったわけではなく、南港通りから南側一帯には大きな被害を受けている。

昭和20年7月26日午前9時半頃、当時小学生だったOさんは、米陸軍の戦略爆撃機B29が、単独で大阪上空に現れるのを見た。

「空襲警報は鳴らんかった。空襲にしては様子が違うなぁと思っていると、パラシュートで何か落としてすぐ引き返していった。パラシュートの音かな? 風を切るゴーッという音が耳に残っている」という。

それは地上に落下する前に、空中で炸裂した。

■社員寮が全壊して死者7名、重軽傷者73名の大惨事に

戦後に判明したことだが、Oさんが目撃したのは原爆の投下訓練で、米軍は5トン爆弾を「模擬原爆」として、シミュレーションをしていたのである。

東住吉区に投下された模擬原爆は田辺国民学校(現田辺小学校)の北側上空で炸裂。その真下にあった料亭「金剛荘」が全壊し、田辺国民学校も大きなダメージを受けた。

このときの被害は死者7名、重軽傷者73名、倒壊家屋485戸、罹災者1645人とされている。

模擬原爆が炸裂した直後の様子を、別の場所から見ていた人がいる。田辺在住のTさんで、Oさんと同じく当時は小学生だった。

Tさんはちょっと変わった現象を目撃していた。

「衝撃波っていうんですかね。それが道なりに走っていった跡でしょうか、こんなこともあるんだなぁと」

道路に沿って建てられている家に、衝撃波が反射しながら走った。その衝撃波で窓が割れる。ところが真向いの家の窓は割れておらず、その隣の家の窓が割れている。その繰り返しで、道路沿いに建っている家の窓が割れたり割れていなかったりという現象が、千鳥型に現れたという。つまり窓が割れた家は、衝撃波がぶつかって反射していった家ではないかと、Tさんは推測していた。

■全国に49個、1日に4個落とされた都市も

模擬原爆の投下は7月20日に始まって、終戦までに北海道を除く全国に49個投下(海中投棄1個を含む)されたことが分かっている。8月14日には愛知県に2回投下され、うち春日井市にはいっぺんに4個も投下された。これもシミュレーションだったとすれば、終戦が遅れていたら3個目の原爆投下があったかもしれない。

東住吉区の爆心地から約200mのところにある恩楽寺は当時、本堂の背後から爆風を受けて、わずかに傾きが生じた。それが現在も、そのままになっている。ここでは毎年7月26日に「7.26田辺模擬原爆追悼実行委員会」の主催で追悼式が行われる。

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)

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