あれから8年…故三沢光晴さんの悲劇は今に生かされているのか

09年6月13日、試合中の事故で急逝したプロレスラー・三沢光晴さん。あれから8年が経ちました。あの時、二度と悲劇を繰り返すまいと色んな人々が動いたはずです。その教訓は今に生かされているのでしょうか。

公開日:2017.6.13

2009年6月16日デイリースポーツ紙面

【2009年6月16日デイリースポーツ紙面より】 13日・広島大会で三沢さん最後の対戦相手となった齋藤彰俊に対し、心ない一部のファンから齋藤の妻子が住む愛知県の自宅に悪質な嫌がらせ行為のあったことが17日、分かった。ノアの仲田龍統括本部長が都内で明かし「レスラーは覚悟して戦っている。誰が最後の相手になってもおかしくなかった。(三沢さんの)遺族も齋藤選手を励ましていた。三沢も天国で悲しむ」と訴えた。

悲劇を繰り返さないために業界が動いた

悲しんでばかりはいられません。悲劇を繰り返さないため、それまでバラバラだったプロレス界をまとめようと「プロレス統一コミッション」設立へ、各団体・各レスラーたちが動き始めました。

2009年6月16日デイリースポーツ紙面

【2009年6月19日デイリースポーツ紙面より】 悲劇を繰り返すな!!プロレス団体「ノア」の社長兼選手として活躍した三沢光晴さん(享年46)が13日の試合中に頭を強打して死亡した事故を受け、大手3団体のトップが18日、都内の自民党本部に招かれ、文部科学部会・文教制度調査会の合同会議で再発防止策や健康管理について意見交換した。三沢さんの47回目の誕生日だったこの日、全日本の武藤敬司社長(46)、新日本の菅林直樹社長(44)、ノアの仲田龍・取締役統括本部長(47)らが、日本プロレス史上初となる「統一コミッション」の設立に協力していくことを表明した。

弔問に訪れた齋藤彰俊(左)=2009年6月18日

 三沢さんは13日夜、広島市内での試合中に相手選手がかけた技で頭から落ち、搬送先の病院で死亡が確認された。不世出の天才レスラーを襲った悲劇―。今回の事故により、“スポーツ”という枠には収まらない、特殊な世界であるプロレスの体質に、抜本的な見直しが求められている。
 会議は「格闘技興行における事故死について」という議題で行われた。元プロレスラーで、同部会長の馳浩衆院議員は「6月18日は三沢選手が生きていれば47歳の誕生日。あらためてお悔やみする」とあいさつ。現役プロレスラーの神取忍・参議院議員や、プロレスに縁のある森喜朗元首相、松浪健四郎・衆議院議員も出席した。議員からは「プロレス業界には統一された協会がなく、コミッショナーもいない。今後、どうするのか。この現状の中で最低限のルール作りをすべきではないか」との声があった。
 90年6月の新日本・福岡大会で一時心肺停止状態となった経験のある馳会長は、健康管理について厳密に規定している日本プロボクシングコミッションを参考例として挙げ、「自主的に手を取り合って2度と事故を起こさないように取り組んで欲しい」とした。さらに「こういうルールのもとで選手を育成し、万一のことがあったらこうなる―というのがないと誰も安心して業界に入らない」と訴えた。

故三沢光晴さんの献花台で泣き崩れるファン=2009年6月18日

 3団体は「統一ライセンス発行」について今年3、5月に会合を行い、今月24日に予定されていた会合を経て7月に発表予定だった。だが、今回の事故で、さらに進んでコミッションの設立を求められたことになる。
 武藤社長は「統一的な機構ができるか、トライしていくことがプロレスのためになる」と話し、菅林社長も「統一された協会に進んでいくと思う」。仲田本部長は「1日も早く統一した協会を作らなければならない。三沢もそれを望んでいると思う」と語った。あまりにも大きな犠牲と引き替えに、プロレス界が一枚岩になりつつある。

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