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昭和と平成 新日本2つの大量離脱

 蝶野のケンカキックが三沢の顔面に何度も入った=2002年5月2日、東京ドーム
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 もうすぐ平成が終わる。平成とともにプロレス人生を歩んできたプロレスラー、蝶野正洋が平成のプロレスを振り返った。新日本プロレスを襲った激震、大量離脱について取り上げる。

  ◇  ◇

 今回は昭和と平成に新日本プロレスを襲った2つの大量離脱について話そう。

 前にも話したように、平成の大量離脱は橋本真也選手が大谷晋二郎選手、高岩竜一選手らとZERO1を旗揚げした01年に始まり、02年2月に武藤敬司さんが小島聡選手、ケンドー・カシン選手とともに全日本プロレスへ移籍、同年5月には長州力さんがWJを旗揚げした。

 昭和の大量離脱は、新日本がブームを巻き起こしていた83年の初代タイガーマスクさん引退から始まった。84年4月には新日本の専務取締役だった新間寿さんが創立したUWFに藤原喜明さん、前田日明さん、木戸修さん、高田伸彦(現延彦)さん、ラッシャー木村さんらが移籍。同年10月には長州力さんがアニマル浜口さん、キラー・カーンさん、谷津嘉章さん、小林邦昭さんら維新軍のメンバーとジャパンプロレスを旗揚げして全日本プロレスに参戦した。

 どちらも後の低迷期につながる大きな出来事だったけども、自分は今振り返ると昭和の方が危なかったと思う。翌85年ぐらいから客が入らなくなった。特に地方大会。新日本の営業がジャパンプロレスに移ってしまい、プロモーターとの関係が壊れて興行が成り立たなくなったからだ。自分もいくつかの会場で「今日は客が入らないから中止にしようか」という話をしていたのを聞いたことがある。ただ、当時の自分は新弟子だったから、上の先輩がいなくなってチャンスが来たな、というぐらいにしか思っていなかったよ。

 平成の時も興行的に苦戦はしていたけれど、上の人は昭和の経験があったから危機感はそれほどなかったと思う。02年5月の東京ドーム大会でノアの三沢光晴社長が協力してくれたり、離脱を打ち消すような話題をキープして、その後もドーム大会を継続することができていたからね。

 ただ、自分は立場が変わって危機感を持っていた。02年2月にアントニオ猪木さんから責任者に指名され、ヒールなのに各地でメインイベンターを張ることになったからだ。ベビーフェースがメインイベンターに固定されて相手のヒールが変わるのが普通だけども、それが逆になり、自分は新日本を代表する立場になって、興行的に成り立つのかという不安感があった。

 だけど、業界的にはもったいなかったと思う。武藤さんが動いた、長州さんが動いたといって活性化するのかと思ったらしなかった。結果的にどこも経営がうまくいかなくなった。飛び出した人たちが集まるところを一つに決めてまとまっていれば、歴史は変わっていたかもしれない。(プロレスラー)

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