掛布は記憶の糸をたどり、子どものころに交わした父親とのやりとりを思い出して、はっきりと言った。
「もし、おやじに防具を買ってもらっていたら、野球はやってなかったと思う」
小学校低学年で始めた剣道は本気になって稽古に励んだ。そのきっかけを作ったのは「姉貴が修学旅行の土産に買ってくれた」木刀だった。
「当時はチャンバラ全盛じゃないですか。子どもの遊びも。お土産と言えば刀だったしね」
映画、テレビ、漫画…どの世界も剣の達人が悪を懲らしめヒーローになっていた時代だ。
「ボクよ。チャンバラをやるんだったら、ウチの道場へ来たらどうだ」
あるとき、千葉県警の人にそう言って声をかけられた。そのころ、父・泰治は千葉商から離れ、千葉市内で日本料理店「みや古」を営んでいた。誘ってくれたのはお店の常連客だった。
入門後、専門の指導員からみっちり稽古をつけられ、雅之の腕はメキメキと上達。素質の高さを何度も褒められた。
3年生になると、いよいよ防具を身につけて乱取りができるまでになっていた。そこで父に「チャンバラのように打ち合いたいから防具を買ってほしい」と頼み込んだ。「安い竹胴でいいから」と。ところが、泰治は最後まで「首をタテには振らなかった」という。
「もし防具を買ってしまったら、もう僕が野球をやらなくなると思ったのかもしれない」
その時は納得などできなかったが、燃えさかっていた剣道熱は一気に冷めた。
掛布が生まれたのは1955年5月9日、新潟県三条市四日町。巨人に入団した後、プロレス界の第一人者となったジャイアント馬場の生家が数軒隣にあった。
三条市には母・テイ子の実家があり、洋食用の食器を作っていた。生後1年ほどは戦後の食料事情も考慮し、米どころでもある新潟で暮らしていたようだが、本人の記憶はない。
出身地は千葉県千葉市としている。父とキャッチボールを始めたのも、剣道に夢中になったのも千葉に来てから。ここが故郷だ。
掛布家は今は亡き両親の間に3人の娘と3人の息子がいる。きょうだいは長女・かほる以下、次女・優子、長男・達也、次男・栄治、三男・雅之、三女・道代と続く。長女とは13歳離れている。
全員小柄。雅之はクラスで整列すると真ん中ぐらいで、家族の中では一番背が高い。それでも高校入学後はよく伸びたほうだ。
才能豊かな少年剣士は運動神経も抜群だった。水泳はクロールが得意。夏になれば千葉県大会でメダルを取った。サッカーも一番。縄跳びは朝礼台に立ち、全校生徒のお手本役になった。
体操も模範生で跳び箱、鉄棒、マット運動と何でもできた。「ヤマシタ跳びの体操ニッポンとチャスラフスカ」に魅了され、小学生で大車輪やバック転までこなした。
「体は大きくなかったけど、バランスよくスポーツをしていたのは、後々プラスになったかもしれない」
この当時、野球は遊びでやる程度。剣道ほどの関心はなかったが、父に促されるまま、紙を丸めたボールを打っているうちに、だんだん楽しくなっていった。(敬称略)




