後輩の面倒見がよく親分肌の村山実は、藤田に対してもあれやこれやと世話を焼いた。ときには他球団の主力選手にアドバイスをもらうため、間に入って橋渡しをすることもあった。

 当時、東映の顔だった張本勲は村山の頼みに快く応じた中のひとり。フライヤーズが関西遠征で来阪したタイミングで、藤田は大阪市内の選手宿舎を訪ねた。すると張本はネオン街へ繰り出し、酒の席を設けて若い藤田を歓待したという。

 藤田はここぞとばかりに聞いた。

東映時代の張本勲=68年2月
東映時代の張本勲=68年2月

 「スランプを克服するにはどうしたらいいんですか?」

 まだ一流の域にも達していない若い選手が〝スランプ〟というセリフを口にする。しかし、張本は本音で答えた。

 「バットが折れるぐらいボールを引きつけて打つこと」

 この回答は藤田自身が予測していたものと同じだったことで大きな納得を得られた。

 顔の広い村山は大洋ホエールズの近藤和彦にも連絡をとっていた。

 近藤の打撃フォームは変則的だった。頭上にバットをかざし、そのバットを握る右手と左手は離れ、なおかつ両手を前後にグラグラ揺らしながらタイミングを取る。

 その仕草が天秤ばかりに似ていることから「天秤打法」と呼ばれた独特のフォームの持ち主だった。

 大洋との試合が行われたある日、練習の合間を縫って張本へ尋ねた内容と同じ質問を近藤にぶつけてみると、「カーブを打て」と言われた。一流打者の思考は似ていた。

 バッティングはタイミングがすべて。タイミングがズレると打てない。そのズレを修正するには遅い球を打つ練習が最も効果的だということだった。

 「張本さんも近藤さんも〝詰まっていい〟と。前へ泳ぐな、引きつけて打てというアドバイスやった。やっぱりそうかと安心したもんや。ただしタイミングというものは自分でつかむしかない。それぞれの顔が違うのと一緒でフォーム自体も違うから」

 藤田がバットを握るときのグリップは、ゴルフのグリップのように少し〝縦長〟だった。右手と左手の間には、ほんのわずかな隙間がある。インパクトの瞬間、この隙間は消えているが、それは近藤も同じだった。

 「グリップはガチガチに固めないほうがいい。柔らかく握ることが大事だと思っていたんでね。両手を離すのは剣道に似ているのかな。右手と左手の間隔は違うけどね」

 近藤の右手と左手を大きく離して構える珍しいフォームは、子どものころに慣れ親しんだ剣道からヒントを得たといわれる。

 「近藤さんもやけど、昔の人はみんなバッティングが柔らかかったもんや。張本さんはバットを寝かすタイプ。中西太さんはムチのように柔らかかった。いま(の選手)は棒や。木刀を持って振ってるようなもんや」

 ただし、タイミングにしても柔らかなスイングにしても、「教えるのは難しい」という。答えは「自分自身で見つけるしかない」そうだ。(敬称略)