マウンドからホームプレートをにらみ続けた男はマイホームでも変わることなく、鬼と仏を使い分けるのが苦手だった。
生前、北別府は当時を振り返って、こんなふうに話していた。
「家でも野球に集中していたかった。切り替えがヘタというか怖かったんよ。エンジンが冷めて再始動するのに時間がかかることがあるのと一緒で、ずっと緊張を保っていたかった」
ただ、引退後も大きな変化はなく、野球解説者時代に入っても〝エース北別府〟を引きずるような生活が続いた。
「やっと自由になれたんだから遊ばしてくれや」と迫る夫に「信頼を失うようなハメの外し方はやめて下さい」と忠告する妻。解説の仕事を「ドタキャンどころか、すっぽかしたこともあった」と妻の広美は打ち明ける。
それが突然、変わった。
2014年8月20日。広島市北部の安佐北区や安佐南区の住宅地などで、大規模な土砂災害が発生した。災害関連死3人を含む死者77人を出した記録的集中豪雨だ。
北別府は「何ができるか分からないけど、とにかく行こう」と広美を伴い、家にあった家庭菜園用のシャベルやスコップを手に現場へ向かった。何かに取りつかれたように2カ月間、必死になって汗を流した。
災害対策車両の通行を確保するため、路上の瓦礫(がれき)を除去することから始めた。土砂が流れ込んだ家々からは泥をかき出し、重い石をいくつも運び出した。
狭い隙間の泥は小さなスコップですくい取るしかない。何十回、何百回。気が遠くなるほどの作業を黙々と繰り返した。
マスクをし、帽子をかぶった北別府に気づく人はほとんどいなかった。ボランティア登録もしなかった。
「自分に置き換えたらどう思うか。それがすべてだった。とにかく人の手が必要だと感じたんよ。どこから手をつけたらいいのかと。助けがなければ、きっと心が折れると思った」
残暑の厳しいころ。最初の1週間はぶっ通しで朝から日が暮れるまで働いたが、不思議に疲れは感じず、「充実感だけ」が残った。
北別府という名前に関係なく地域の人たちが喜んでくれた。隣人の役に立てたことが、うれしくて新鮮でもあった。
広美は語る。
「一緒にいて心から楽しいと思えるようになったのは、このボランティアをしたころからです。それまではずっとピリピリした状態が現役を引退した後も続いてましたから」
すべてのわだかまりを解いたのが、この災害ボランティア活動への参加だった。
2人の郷里は同じ鹿児島。北別府がシーズン20勝を挙げた1982年のオフにお見合いで結婚した。それから長い歳月が流れていた。(敬称略)




