【野球】新人合同自主トレ昔話 かつて赤ヘルでは仰天ともいえるグラブの交換指令が発せられていた
ドジャース・大谷翔平(29)の日本国内の全小学校に贈る6万個グラブが続々と子どもたちの手元に届いている。グラブはもちろん野球をするためには欠かせないアイテムだ。
高校や大学を卒業したばかりのルーキーたちは、当然のようにそれまで使っていたグラブを手にプロ野球の門をたたく。現在、プロ野球12球団でスタートしている「新人合同自主トレ」に参加している選手たちがまさにそうだ。
プロ野球選手会とNPB(日本野球機構)の話し合いでは「オフシーズンの明確化」を理由に、契約期間外は練習を強制できない決まりとなっている。野球協約第173条には「球団又は選手は毎年12月1日から翌1月31日までの期間においては、いかなる野球試合又は合同練習あるいは野球指導も行うことはできない。ただし、コミッショナーが特に許可した場合はこの限りではない。なお、選手が球団の命令に基づかず自由意志によって基礎練習を行うことを妨げない」と記されている。ところが、新人選手については例外的にトレーニングコーチの指導が選手会から認めてられているのだ。
以前は1月からチーム管理のもと、原則的に支配下登録選手が全員参加する形で合同練習が行われていた。首脳陣も新人選手に対し「新人合同自主トレ」初日から、思いもかけない仰天指令が発することがあった。そのひとつに広島の「新人合同自主トレ」で、当時の安仁屋宗八、外木場義郎両コーチが指示したグラブ交換だった。
1988年の1月12日のことである。前日の11日から広島は広島県廿日市市宮島にある「大野屋内総合練習場」で新人合同自主トレをスタートさせていた。初日は黙って見守っていた両コーチが2日目に動いた。
練習の合間に新人投手を集め、彼らに“プロの洗礼”浴びせた。それは、ドラフト1位の川島堅氏らが使っていたグラブに対しての命令だった。両コーチはまず「公式戦になれば(他球団が)おまえたちのピッチングを丸裸にする。癖がバレたらイチコロだ。手首の動き、握りを隠すためにはこのグラブではダメだ」と、サイズの問題を指摘しただけではない。実際にグラブを自ら持ち、手首の動きやボールの握りが丸見えになることを実践してみせた。さらに、ネットの部分に隙間があるグラブを使用している選手に対しては「もっと大きくて、ネットの部分から中のみえないものにしろ」とダメだし。全新人投手に対して、グラブの買い替えを求めた。
甲子園のヒーローでドラフト1位だった川島氏が「高校のときに、グラブのことまでいわれたことはありませんでした。ビックリした」と話していたと記憶している。プロ野球選手がグラブひとつにも配慮することを知る、興味深い出来事だった。
どの球団も情報収集能力が向上の一歩をたどっている。ささいな動きや癖で相手に丸裸にされても仕方がない。当時の広島の新人投手たちが2月1日のキャンプインでは真新しいグラブを手にしていたのはいうまでもない。(デイリースポーツ・今野良彦)