【野球】かつて球界内にも存在していたといわれるハラスメントに異議を唱え続けた指導者は、投手分業制の先駆者・近藤貞雄氏だった

 生まれるのが早かったかもしれない。かつて球界内にもハラスメントが存在していたといわれる時代に、異議を唱え続けた指導者がいる。投手分業制の先駆者・故近藤貞雄氏だ。

 楽天は11月30日、後輩選手へのハラスメント疑惑が浮上していた安楽智大投手を同日が提出期限だった「保留選手名簿」から外し、自由契約にすると発表した。

 ハラスメントとは「いじめ」「嫌がらせ」と訳される言葉で近年、職場における「ハラスメント」が急増が人事管理上、深刻な社会問題となっている。法律面での対応が進められており、例えばパワハラに関しては「労働施策総合推進法」で定められている。

 過去、プロ野球界でもパワー・ハラスメント、モラル・ハラスメント(モラハラ)などがウワサされていた。駆け出し記者時代、ふがいない投球をした投手が降板後、監督やコーチなどから「愛のむち」と称した鉄拳制裁を浴びた話を何度も聞いたことがある。

 かつては理不尽と分かっていても、仕方なく受け入れていた時代だったかもしれない。そんな時代にも鉄拳制裁などの暴力行為やハラスメント行為に対して、声を大にして否定していたのが、現役時代は中日や巨人でプレーし中日、大洋、日本ハムでは監督を務め、2006年に亡くなった近藤貞雄氏だった。

 異論を唱える人もいるだろうが、日本球界に投手分業制を導入した人である。実際、1991年の日本ハム担当時代、当時の近藤監督から「日本で投手分業制を導入したのは、私が中日で投手コーチをやっていたときが最初」という話を聞いている。そのきっかけは「(66年に)フロリダの教育リーグにいった際、現地のコーチから『投手の肩は消耗品』という話を聞いた。これを聞いて、日本流の投げ込みや登板過多は、確実に投手生命を縮めると思ったから」と話していた。

 このように時代に先駆けた、合理的な考え方の指導者で、よく野球界だけでなく、スポーツ界で当然のように行われたいた「体罰」を徹底的に否定していた。残した「退場がこわくて野球ができるか」という言葉どおり、試合中に審判の判定に激高して何度も退場処分になっていたが、選手を指導する際には手を出すことなど毛頭なく、声ひとつ荒らげることもなかった。その理由を「手を出して野球がうまくなるならそうするかもしれない。でも、失敗した選手にはきちんと説明して理解させればいい。それが指導者の仕事」と話していたように思う。

 日本ハムの監督時代は思ったような成績が残せず91年に退任した。だが、投手分業制といい、すでにアンチ・ハラスメントを貫いた姿勢といい、時代が近藤イズムに追い付いてきたかもしれない。(デイリースポーツ・今野良彦)

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