【スポーツ】なぜ朝乃山はスピード昇進できたのか 亡き恩師2人が語っていた理由

 大相撲春場所後、朝乃山(26)=高砂、近大出身=が新大関昇進を果たした。学生相撲出身では07年名古屋場所後に昇進した琴光喜以来、13年ぶりで、わずか8人目の大関。その中で横綱までたどり着いたのは、ただ1人、輪島だけだ(元横綱の旭富士は近大を中退し角界入り。のちに卒業している)。

 過去7人のアマチュア実績はハイレベルで群を抜いている。豊山(東農大)は学生横綱、輪島(日大)は2年連続学生横綱、朝潮(近大)は2年連続で学生&アマ横綱、武双山(専大)は高校横綱、アマ横綱、出島(中大)は大学時代はタイトルに縁がないものの、高校横綱&国体V、雅山(明大)は全日本大学選抜など2冠、琴光喜(日大)は高校横綱、2年連続アマ横綱。いずれも世代を引っ張る存在だった。

 朝乃山は近大2、4年時に西日本学生V、4年時に全日本選手権3位の実績で三段目付け出し資格を得てプロ入り。アマトップレベルではあるが、ビッグタイトルはない。日大でアマ横綱&国体Vの遠藤(追手風)、東洋大でアマ&学生横綱の御嶽海(出羽海)に比べれば、超一流エリートではなかった。

 大学卒業後、4年というスピードでなぜ、先輩の遠藤や御嶽海を追い抜くことができたのか-。学生相撲出身では珍しく、未完成のまま角界入りしたことが挙げられる。

 朝乃山の恩師で1月に急逝した近大の伊東勝人監督は生前、こう言っていた。

 「大学は4年間と限られた時間でどこまで成長させるかが課題だけど、その課題の中でやり残した感があったままでプロに行った。プロに行けば、彼らのような大きな力士がいるから伸びる環境があるので。そこは早くプロに行って頑張れよというのはあった」。

 「4年まで教えていた内容は立ち合い、上手の使い方、腕(かいな)の返し方とか。彼には意識するように言ったけど卒業するまでに完結していない。プロにあってうちにない環境はやはり胸を出す力士がいるかいないか。受ける人がいるかいないか。そういう意味でプロに行ってそういう環境に飛び込んで稽古が充実していったということかな。でかい人が1日に必死になってぶつかって押すのを何回押すか。力士にとっては大事な稽古」。

 朝乃山は巨漢だ。身長188センチ、体重177キロの“富山の人間山脈”の当たりをまともに受けられる大学生などそうはいない。ましてや、大学相撲の強豪は関東に集中する。関西の雄とはいえ、近大で本気のぶつかり稽古は難しかった。

 さらに右四つの型。四つ相撲は時間がかかると言われる。朝乃山は富山商で本格的に右四つを稽古し、近大でも「ねちねち」と、伊東監督からたたきこまれた。それでも器用なタイプではなく、7年では足らなかった。

 この2つの課題を乗り越えた。朝乃山が言う転機は昨年夏場所で初優勝する前の春巡業にあった。当時、大関の栃ノ心(春日野)に幕内稽古で胸を借り、連日20番近くも相撲を取った。角界随一の怪力、右四つのスペシャリストに本気でぶつかり、馬力を増し、コツをつかんでいった。

 師匠の高砂親方(元大関朝潮)は「優勝した(昨年夏)場所、初日、2日目と左上手を早く取って右を差す相撲が取れていた。今場所はそこそこ勝つなと思った。本人が一生懸命稽古したたまもの」と言う程、開花した。

 富山商で右四つを朝乃山に教えたのが17年1月に他界した浦山英樹監督。近大OBで伊東監督と会えば朝乃山の話。2人で朝乃山に夢を託してきた。

 伊東監督は懐かしそうに話していた。「浦山先生は『こいつは高校来て相撲をやったばっかりだから。これから強くなる。こいつが強くなったらプロに行かせたい。自分が相撲を教えている中でやはり、自分がプロの関取を育てるのが自分の夢だ』と浦山先生は言っていた。『大学で強くしてプロに行かせて下さい』と言っていた。やはり感じるものがあったんでしょう。私もそれだったら強くしてプロに行かせようかと。浦山先生とはいつも石橋(朝乃山)のことを言っていた。こんなに強くなるとは思ってもみなかった」。

 16年5月の夏場所、2人は一緒にまだ幕下だった朝乃山の取組を見に行った。「2人でお台場に泊まって、両国の前から船に乗って電車のが早かったな、とか言って。その時に『だいぶ体が悪い』と言っていた。初めて弱音を吐いていた。先が短いなとその時、思った。『自分でもあまりこういうことは言いたくないけど、おそらく再発して背中がずっと痛い』と」。浦山監督は死期を悟っていた。

 その8カ月後の17年初場所で浦山監督は天国に旅立つ。伊東監督監督は「最後、(朝乃山が)関取を決める一番で病院でもうダメやと言っている時だった。石橋(朝乃山)から電話来て(浦山先生に)電話したかって聞いたら『しました。でも出られなかったです』って。でもちゃんとあいつが勝ったのを見届けてから亡くなったらしいので、それはすごい良かったなと。それでほっとしてダメだったのかな。死んだ人にいい死に方とはないのかもしれないけど、『それ(関取)が夢なんですよ』ってずっと言ってたからね。それを果たせて亡くなったのはいい死に方したなと」と、天を見上げた。

 未完の素材で近大に来て、1年は基礎運動を徹底。「基本、投げる方が上手やぞと。小さい人は逆。投げる方が下手。両方やってみてどっちがどっちか。大学の時も石橋に確認した。そのときまで確立していなかったと思う。本能のまま取っていた。ポイントとか考え方とか、意識が高まったら力の出し方も変わる。繰り返すことによって身についてくる。そういう課程を過ごして今がある」。基本からすべて言って聞かせた。

 上手を取ると脇が甘いのも悪癖。左手にテーピングをグルグル巻いてまわしを取れないようにして。押っつける練習も繰り返させた。「取らなくても、こう握った状態で押っつけるようになれば立ち合いが1点に力が入る立ち合いに集中できる、そういうこともやらせた。当たった時、右足、右手。右肩がそれがしっかりしないと圧力が強くない。力がばらけてしまう。ばらけたら弱い立ち合いになる。だいぶやらせた。当たったら(相手を)起こせと。ずっとやっていた。差したら起こせって。なかなかできない。それが今やってるから。うまいとは思わないけど、相手が起きていく。やはり馬力がある。腰を使わなくても押すんだから馬力がある」。

 自身が教えた相撲がどんどん伸びていく。「場所を追うごとに少しずつ完成に向けて仕上がっていくのが見えるのがすごく楽しい。今場所は立ち合い低いな、速いな、かいな返ってるな、とか成長が見えるのが楽しい。場所を追うごとにどんだけ強くなるのかという期待感もあるし、見ていておもしろい」。伊東監督は本当にワクワクしていた。

 そんな恩師も浦山監督の3年後の今年、同じ初場所で急逝した。無観客の春場所、朝乃山は2人が2階席の端で「見ていると思って」といつも、そこを見て勇気をもらい、土俵に上がっていた。千秋楽、大関貴景勝(千賀ノ浦)を撃破し11勝目を挙げ富山出身では太刀山以来111年ぶり新大関昇進を決めた。

 伊東監督は「朝乃山はいろんなものを持っている。なんやかやで持っている。あとは浦山先生があいつに書いた『お前は横綱になれる』という手紙(遺書)。そこまでいけば大したもの。年齢的にもチャンスかなと。日本人の横綱は長持ちしないと言われるから頑張ってほしい」とエールを送っていた。

 2人の師の思いを背負い、強い運命を持つ朝乃山。25日の昇進伝達式では「(2人には)おかげさまで大関に上がりました、と言いました。これに満足せずさらにもう一つ番付があるのでこれに満足せず、頑張りますと言いました」と天国に次の地位、横綱昇進を誓った。(デイリースポーツ・荒木 司)

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