【スポーツ】ハンパなかった貴景勝への英才教育 初Vでかなった父子の夢

 相撲版「巨人の星」のような父子の夢がかなった。大相撲九州場所で13勝(2敗)を挙げて初優勝した22歳の若きニュースター、小結貴景勝(22)=千賀ノ浦。父・佐藤一哉さん(57)から幼少期より受けた英才教育は半端ではない。

 関西屈指の高級住宅街で知られる兵庫県芦屋市に一人っ子として育った。幼少時から父に指導され極真空手に打ち込み、全国制覇もたびたび。しかし小3の時に事件が起こる。

 全国大会の決勝で不可解な判定に泣いた。父は言う。「グランドチャンプ大会があってそれで決勝までいった。決勝で圧勝と思ったら延長、延長で引き延ばされて、最後も一本勝ちと思ったら反則を取られた。子供だって血のにじむような稽古をしてきている。いい加減なことで人生を左右されたくない。僕もその日で空手をやめた。判定のない競技に行こうと。格闘技で判定がない競技は相撲だった」

 貴景勝も「一瞬で誰が勝ったか分かる競技がしたい」と決意し、相撲一本に転向した。

 ちょうどこの頃、愛息の進路を巡り、父母は苦悩していた。実は佐藤貴信少年(貴景勝)の通う仁川学院小は超進学校。幼稚園児の時に7つの幼児教育の塾に通い、見事、受検を突破して入学した。父によれば「(地域で)1番偏差値の高い小学校。当時のことですが、男子なら灘中学に3人に1人は行く。灘中学から東大へ。今年も何人も受かっている。勉強できましたよ。小学校もよく受かりました。本当に寝る間もない幼稚園児でした。東大に行くか、プロのアスリートになるか、でしたね、当時は。どっちを極めるかと」。

 しかし、母・純子さんはアスリートを目指すことに当然のごとく反対した。「ケガをすればその後は何をするのか。学歴が大事」と主張。結局、「一流アスリートになるなら勝負するしかない」と、退路を断ち父子は挑戦することに決めたのだ。

 父子の運命の歯車がここから猛烈に回り出す。「プロの力士になる」のが父子の夢。決して大きくもなく「食も細かった」と言う貴信少年は1年で体重20キロ増をノルマに“飯のかわいがり”と呼ぶ地獄の日々が始まる。

 鍋、焼き肉でも、隣で父・一哉さんがべったり。「わんこそばのように追加する」役で逃れられない。「量が目に見えているからきついですよ」と愛息を思いやるが、決して甘えは許さなかった。

 牛乳は毎日2リットル。外食も“稽古”。特盛り牛丼3杯、マクドナルドならLサイズポテト4個とメガマック4個。子供なら大好きなハンバーグだが、450グラムの特大サイズを3枚も完食しなければならない…、まさに“悪夢”だった。貴信少年は「その店の看板を見るだけで嫌」と言うほどのトラウマとなった。

 そのかいあって、小3で40キロだった体重は小6では90キロに。瞬足で運動神経抜群のクラスの人気者が、同級生から「どうしたん?」と心配された。足は速くリレーのメンバーだったのが、クラスでも鈍足の部類に。それでも常に本気の父を信じていた。

 食事に3、4時間かかろうが父はいつも見守っていた。関西に稽古相手がいなければ早朝4時に起き、三重県、広島県まで出稽古に連れていってくれた。子供に全身全霊、すべてを懸けてくれたのが子供心にも分かっていた。

 セレブの住む高級住宅街。周囲から「頭がおかしいんじゃないの?」「こんな小さい子がプロになれるわけがない」と白い目で見られたこともあった。貴景勝は言う。「鼻で笑われていた。悔しかった。見返すつもりだった。オヤジが信じてくれてなかったら今の俺はおらん」。

 千秋楽、自宅から駆け付けた両親の前で貴景勝は見事に勝利し賜杯を抱いた。最高の親孝行に父からは「良かったな」と短い言葉だが祝福された。「うれしかった。あんまり言われたことないから。怖かったので」と最高の瞬間を味わった。

 身長175センチ、体重170キロと幕内では決して大きくない。肉体を弾丸のようにはじかせて、突き押し一本で巨漢をぶっ倒す気合と根性は父子で築き上げた結晶。「東大行くよりはるかに夢物語」と父は感激する。

 毎年、約3000人が東大に入学するが、1909年の優勝制度制定以降、幕内優勝の経験者は貴景勝で107人目だ。(デイリースポーツ・荒木司)

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