【野球】鉄人と炎のストッパーの思い出 津田恒美さん夫人がしのぶ

 プロ野球記録の2215試合連続出場を果たし「鉄人」と呼ばれ、23日に上行結腸がんのため71歳で死去した元広島の衣笠祥雄さんの追悼試合が、28、29、30日にマツダスタジアムで開催される阪神との3連戦で行われる。28日の試合前には来場者とともに黙とうをささげ、3試合とも広島の選手、スタッフが喪章を付け「鉄人」をしのぶ。

 国民栄誉賞も受賞し、広島の黄金期を支えた衣笠さんはファンやチームメートから愛された。通夜や告別式は近親者のみで営まれたが、逝去が分かった翌朝の新聞には球界関係者から追悼の言葉が送られた。ファンや関係者も衣笠さんの死を悼む言葉をブログやツイッターなどSNSにつづった。その中に1993年7月に脳腫瘍のため逝去した津田恒美(登録名・恒実)さんの妻・晃代さんも自身のブログで「鉄人衣笠祥雄さん」と題して思いをつづっていた。

 「またひとり、時代を象徴する方が逝ってしまわれました」と書き始め、衣笠さんの人柄にふれるとともに、在りし日の津田恒美さんから聞いたエピソードをしたためた。

 「夫の津田も衣笠さんに可愛がってもらってました。まだ新人の頃、夫がエアコンのきいた部屋で半袖で過ごしていたら、『お前、ピッチャーだろ!もっと腕を大事に扱え!』と叱られたそうです。プロとして、どう自分の体に気を使うかを厳しく教えられたんです。大先輩ですから、会話をするのも畏れ多くて、『やっぱり緊張する』」って言ってましたが、折りに触れ、指導を受けたり励ましてもらったりしたんだそうです。衣笠さんが引退される日、試合が終わってから、ロッカールームで衣笠さんが夫に声をかけてきてくださったそうです。内容はここでは詳しく話しませんが、『すごくありがたかった』と津田が言っていたのを憶えています。気にかけてくださっていたことが本当に嬉しいと」

 津田さんが亡くなってから関係者が集まった『偲ぶ会』にも出席してもらったという。そこでのスピーチ中に幼少の長男・大毅くんが走り回っている姿に「私はハラハラしていたんですが、衣笠さんはニコニコして、『大毅君が元気なのが嬉しいです。どうかこのまま元気にすくすく育って欲しい』と仰ってくださいました」と当時の写真とともに思い出をつづった。その大毅くんも成人し、現在は広島市内に「津田恒美記念館」を設立するために奔走している。

 ブログの終盤には「多くの人たちの心の中に素晴らしい記憶と温かい思い出を残し光の世界に逝ってしまわれました。あちらの世界がだんだん賑やかになりつつあります。きっとまたみんなでグラウンドを駆け回って大好きな野球を楽しまれるんじゃないかな。きっとそうであって欲しいです」とつづった。

 1984年の優勝時はケガに苦しんだが、炎のストッパーとしてよみがえった1986年、津田さんは衣笠さんとともに優勝の美酒を味わった。晃代さんは津田さんを思い出しながらブログをつづったのだろう。伝説の2人は、あの世で白球を追いかけているに違いない。

 史上初の3連覇を目指す広島の選手は、偉大な先輩たちに見守られグラウンドをかける。(デイリースポーツ・岩本 隆)

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