【野球】名門・横浜のエースは元サッカー少年…意識を変えた甲子園の存在

涙は見せず甲子園を後にした横浜・板川=11日、甲子園
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 99回目を迎えた夏の甲子園は、熱戦が続いている。強豪校になればなるほど、華麗な球歴を持った選手は多い。日本代表や全国優勝、世界大会出場…などなど。取材する側も慣れっこになっている部分がある。

 そんな中で、ある選手の“球歴”が気になった。11日に登場した横浜の板川佳矢投手。甲子園優勝5度を誇る名門の2年生エースは、実は中学入学までサッカー少年だった。

 「ミッドフィルダーで『10番』でした。結構、点も取っていましたよ」。兄がやっていたサッカーに熱中。地元小チームでは司令塔で、アイドルは清武(C大阪)や遠藤(G大阪)。Jリーグのジュニアユースチームに進む選択肢もあった。

 本格的に野球に転向したのは偶然。友人と公園でキャッチボールをしている時、たまたま友人を知っている指導者が通りがかり「いい球を投げるな。ウチでやらないか」と勧誘された。仲の良かった先輩が地元・野木中の野球部だったため、サッカーはやめて「なんとなく流れで」野球部に入ることにしたという。

 中学時代は「甲子園もあまり知らなかった」と振り返る左腕。一塁手から投手になったのも3年時で、直球を武器に県大会出場は果たしたものの、変化球は投げられなかった。

 意識が変わったのは、誘いを受けて親元を離れ、高校に進んでからだった。日本中から有望選手が集まる横浜は、ほとんどが中学硬式野球の強豪出身。そこで板川の負けん気に火が付いた。

 「軟式出身でも、ここまでやれるんだということを見せたい」。硬式球の感触に慣れるため、グラウンドから寮への帰り道も常にボールを触り続けた。自室で横になっていても、天井に向かってずっとボールを投げ上げていた。硬式出身者との3年間の差を埋めるための努力を、コツコツと積み上げた。

 そして、聖地がさらに左腕を変えた。サポートメンバーとして、昨夏の甲子園に帯同。ボールボーイも務め、グラウンドの雰囲気に圧倒された。あこがれの先輩・藤平(楽天)がマウンドで躍動する姿に「今度は自分も」と思うようになった。

 努力と意識の変化が実を結び、昨秋の新チームからは背番号1に。今夏は投手陣の中心として甲子園に戻った。しかし、11日の秀岳館戦は先発ではなく、3点を追う七回途中5番手での登板。2回1/3を無失点ながら、チームを勝利に導くことはできなかった。「自分がもっと早く投げていて点をやらなければ勝っていた。先発を任せてもらえないのは、僕の力がないということ」と悔しがった板川は「今度こそ、こういう試合で先発に使ってもらえる投手として、甲子園に戻ってきたい」と誓った。

 ピッチング以外、文字を書くなど日常生活はすべて右利き。サウスポーになったのも、最初に野球のボールを投げた時が左だったから。野球に関心が薄かったサッカー少年が、数年で全国屈指の強豪のエースになった。板川は「中1から3年間は野球をやっていても、甲子園はどうでもいい存在だった。今は甲子園がなければ、もう自分じゃないというぐらいに思っている」と言葉に力を込めた。名門に現れた異色の背番号1。球児の成長力と甲子園の存在の大きさをあらためて実感した。(デイリースポーツ・藤田昌央)

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