もう一度聴きたかった大瀧さんの生歌声
昨年の大みそかは、あまりのショックで紅白歌合戦もほとんど見なかった。日本のポップス界の巨人、元はっぴいえんどの大瀧詠一さんが急死したからだ。去年ははっぴいえんどおよび大瀧さんのプロデューサーであった三浦光紀氏の連載を担当し、大瀧さんの天才ぶりを改めて実感していただけに、二度と生の歌声を聞けないと思っただけで悔しくなってしまう。
大瀧さんを語るうえで、なによりもすごいのが、歌ばかりではなく何に対しても好奇心も持ち、とことんそれを追求していく大瀧さんの姿勢だ。三浦さんは「彼は『勉強家』と名乗っていたのですよ」と死去する前の大瀧さんの現状を教えてくれた。音楽活動を休止し、ほとんど人前に姿を見せない大瀧さんに、音楽活動の再開を求める声は多かったそうだ。そのたびに「もういいです。僕は過去の人ですから」と答えていたそうだ。「今、何をしてるの?」と質問すると「勉強してます」と口癖のように繰り返したという。
大瀧さんを語るには、この「勉強」という言葉が重要なキーワードになると思う。はっぴいえんどは1970年代に「日本語のロック」を体現させた伝説のバンドで、中心的人物だった大瀧さんと細野晴臣はビートルズのポール・マッカトニーとジョン・レノン にもたとえられた。実ははっぴいえんど結成前には、この2人がデュオを組んで、音楽活動をしていた。三浦さんは「信じられない話しですけど、あの2人がデパートの屋上でライブもしていたんですよ。細野さんがギターを弾いて、大瀧さんがボーカル。よれよれのGパンのポケットに手を突っ込んで歌っていたそうです。想像できますか?はっぴいえんど以前はサイモンとガーファンクルだったんです」と当時の姿を教えてくれた。大瀧さんははっぴいえんどではボーカルとギターを担当していたが、そのギターもバンドの結成が決まってから、急きょマスターしたという神話が残っている。三浦さんによると「覚えるまでに6カ月かな。いや3カ月だと聞いたこともある」そうだ。それほど楽器の演奏に関しては天才的だった大瀧さんだが、エンジニアとしても卓越していたそうだ。
レコードを作るには録音した後、スタジオでの編集作業(ミックスダウン)が待っているが、大瀧さんがミックスした音をプロデューサーやエンジニアを少しでもいじると「あれ、違うね。いじったでしょう」とすぐに指摘を受けたという。70年代初頭は録音技術のレベルが低く、2chがせいぜいだったが、大瀧さんはダビングを何回も繰り返し、当時世界の最先端を行っていたアメリカの音に近づけたという。「はっぴいえんどの解散が決まった時に、4人それぞれの身の振り方を考えた。細野さん(ベース)と鈴木茂(ギター)は最悪でもスタジオ・ミュージシャンで食っていける。松本さんは作詞家としてのメドがたっていた。大瀧さんはエンジニアとして会社(ベルウッドレコード)に残ることも可能だった。それほど素晴らしいセンスと技術を持っていたんです」と三浦さんが振り返ってくれた。
もうひとつ、大瀧さんの伝説として語られているのが、映画に対する造詣の深さだ。ある時期、音楽活動をいっこうにしない大瀧さんについて「毎日、日活の資料室にこもっているらしい。朝から晩まで古い映画を見ている。日活の社員より長く会社にいるらしい」というウワサがたったほどだ。小林旭の渡り鳥シリーズをはじめ、日活系の映画については熟知していて、何冊も本が書けるほど専門知識があったそうだ。これも「勉強家」大瀧詠一を語るうえでは、忘れられないエピソードだろう。もちろん、エルビス・プレスリーの楽曲研究も有名で、すべてのシングル盤を歌詞およびメロディーラインの解説付きで語れるレベルだったという。
はっぴいえんどの4人の中で、大瀧さんだけが岩手県奥州市出身。雑音交じりのFEN(米軍のラジオ放送局)を聴き、アメリカン・ポップスを覚えたというが、70年代の東京と地方の文化差を考えれば、信じられないほどの努力が必要だったことだろう。大瀧さんの楽曲に満ちあふれたポップさを「岩手県出身なんてとても考えられない。岩手の歌といったら千昌夫を思い出してしまうよな」とある芸能事務所の社長が漏らしたほど、大瀧さんはある意味次元を超えていた。
偉大なるボーカリストであり、音楽プロデューサー。4人での活動再開を望んだ多くのファンに「はっぴいえんど」として姿を見せる機会はなくなってしまった。それでも「勉強家」として音楽界に残した大瀧さんの足跡は今後も大きな財産として残るだろう。はっぴいえんど最後のアルバム「HAPPY END」のラストに収録されている「さよならアメリカ さよならニッポン」は、1973年にアメリカで録音された。三浦さんは「歌詞がこれだけ(さよならアメリカ さよならニッポン)なんです。急きょアメリカ行ったもんだから、もう録音する曲がなかった。大瀧さんや現地のディレクターの考えで入れたんですよ」という。このCDを聴きながら、本当に大瀧さんは「さよならアメリカ さよならニッポン」とファンに別れを告げてしまったのだと思う。もう一度だけ、ライブで大瀧さんのスーパーボーカルを聴きたかった。合掌。(デイリースポーツ・木村浩治)
