平野美宇 輝き復活 7歳で夢見た舞台、大ブレイク後の引退危機

 7歳で全日本バンビの部を優勝した平野美宇(左)と母真理子さん(家族提供)
 第1試合ダブルスを制した(左から)石川佳純、右は平野美宇組
2枚

 「東京五輪・卓球女子団体・準決勝、日本3-0香港」(3日、東京体育館)

 女子団体準決勝で、前回リオデジャネイロ五輪銅メダルの日本は、世界ランク5位の香港に3-0で快勝し、2大会ぶりの決勝進出を決めた。第1試合のダブルスで先勝し、シングルスでは第2試合の伊藤美誠(スターツ)、第3試合の平野美宇(日本生命)が連勝。中国-ドイツ(4日)の勝者と激突する5日の決勝で同種目初の金メダルを目指す。

  ◇  ◇

 18年2月上旬。平野はベッドに横たわっていた。食事もままならない。自室に閉じこもったまま、3週間がたとうとしている。「ずっとベッドの中にいて、卓球のことは考えたくなかった」。17年の大ブレイクからわずか半年後のことだった。

 最大瞬間風速を記録した“ハリケーン”の反動はあまりに大きく、平野自身を強襲した。17年4月、代名詞の高速卓球でアジア女王に輝くと、世界選手権で48年ぶりの銅メダル。脚光を浴び、強気な発言は紙面を踊らせた。ところが、次第に結果が出なくなる。さらに、最も頼りにしていたコーチが中国に帰国。不運も重なり未来が見えなくなった。

 練習場に行くだけで吐き気を催し、ラケットを握ると涙があふれた。「卓球に対していいイメージがなくて。つらい、苦しい」。母真理子さん(52)は当時の娘について「周りの期待、自分の実力、勝てなくなった現実とのギャップがあまりに大きくて打ちのめされていた」と振り返る。

 引きこもっていると知った真理子さんは、慌てて山梨から当時の拠点エリートアカデミーの寮に駆けつけた。小さな焼き肉屋に誘い出し、母娘で向かい合う。「卓球がつらい」。泣きながら明かす娘に、母は言った。辞めたら?。「美宇が笑顔になれないなら卓球をやる必要はない。五輪は美宇の夢だから応援した。山梨に帰ってきて笑顔になれるものを探せばいい」。慰留されると思っていた平野は驚いた様子だった。

 1週間後、LINEでメッセージが届いた。「やっぱり諦められない。五輪で金メダルを目指したいから協力してほしい」。アカデミーを1年前倒しで卒業し、プロとして一本立ちすることにした。

 母が休みの度に娘を連れだした先は、不動産屋。新居探しに没頭すれば希望が湧いてくると考えた。「どこにテレビを置くとか、近くにスーパーがあるとか。そんな時間を過ごすことで元気になるかなと」。父光正さんが職場を変えてまで上京し一緒に暮らし始めた。今春からは妹世和さんも進学で上京。家族の支えで立ち直った。

 平野家の運命を決定的に変えた瞬間がある。07年7月29日。全日本バンビの部で初めて優勝した小学1年の平野が、母を驚かせたのが優勝インタビューだった。「夢は五輪で金メダル」-。それまで口にしていた夢は「キティ屋さん」。メディアがつけた“愛ちゃん2世”という触れ込みからこの日で卒業させようと思っていた真理子さんだったが、初めて我が子の覚悟を知り、考えを改めた。

 「驚いたし困った。でも、うれしかった。そんなに卓球を好きでいてくれたんだと」

 いつでも、ラケットを握っている時が一番楽しそうで輝いていた。あの7歳の美宇と同じ笑顔を取り戻し、またひとつ夢に近づいた。

2021-08-08
2021-08-07
2021-08-06
2021-08-05
2021-08-04
2021-08-03
2021-08-02
2021-08-01
2021-07-31
2021-07-30
2021-07-29
2021-07-28
2021-07-27
2021-07-26
2021-07-25
2021-07-24
2021-07-23
2021-07-22
2021-07-21

関連ニュース

東京五輪最新ニュース

もっとみる

    東京五輪 写真ハイライト

    主要ニュース

    ランキング(スポーツ)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス