浜田尚里「弱かった」高校時代 反復練習が生んだ寝技女王の“ショーリ”

 「東京五輪・柔道女子78キロ級・決勝」(29日、日本武道館)

 女子78キロ級決勝で初出場の浜田尚里(30)=自衛隊=が、19年世界選手権優勝のマロンガ(フランス)に一本勝ちして金メダルを獲得した。得意の寝技を存分に生かし、初戦の2回戦から全4試合で一本を奪う圧勝。この階級の優勝は04年アテネ五輪の阿武教子以来。今大会の日本女子で3階級目の優勝で、男女合計8個の金メダルは04年アテネ大会に並ぶ最多となった。

 ◇  ◇

 「とにかく弱いなと」。鹿児島南高時代に指導した吉村智之監督(当時)は、入部してきた浜田に対し抱いた第一印象だった。体格は大きかったが、中学時代は無名。試合では簡単に投げられて泣いていた。「選手として期待はしていた。身長もあってバランスも良かった。ただ、将来的に強くなるという確信はなかった」。ロマンだけが詰まった原石だった。

 実績がなかったため、他の部員と同じ体育科ではなく、ある程度勉強も必要な情報処理科に入った。入学した後も、最初の大会には柔道着ではなくポロシャツを着て裏方として帯同するだけ。当時県内の大会では団体5連覇していた同校だったが、周囲から「浜田の世代になら勝てる」とまで言われる始末だった。

 立ち技ではすぐに投げられてしまうもろさがあったが、吉村さんが当時重視していたのが寝技だった。腹ばいになった相手の帯をつかんで、後ろにひっくり返して抑え込みにつなげる。この「帯取り返し」の練習を、ひたすら反復して繰り返す胆力こそが、浜田の最大の才能だった。

 自衛隊に入ってからは課題だった立ち技を徹底強化したが、普通の選手なら音を上げるような反復練習を、浜田は何時間も繰り返していた。不器用で、教えたこともなかなかできない。

 自衛隊で指導する池田コーチは「最初は変な動きをするので、普通なら嫌になって辞めるところでも、浜田はずっとやり続ける。教えた技も人よりは時間がかかるが、2~3年をかけて試合で使えるようにしている。本当に芯が強い」と目を細める。

 「寝技は高校、大学で軸ができていて、サンボで立ち技から寝技の連係に厚みを増した。社会人になってからは立ち技の課題を一つ一つクリアして、ちょっとずつ試合で勝てるようになった。地道にコツコツ続けられるからこそ、強くなった」(池田コーチ)。寝技女王は一日ではならなかった。

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