ミスターの悲願成就 王氏、松井氏とともに 五輪金コンビからトーチの火を受け継いだ
「東京五輪・開会式」(23日、国立競技場)
1964年以来2度目の東京オリンピックが23日、天皇陛下の開会宣言によって開幕した。新型コロナウイルスの感染拡大による史上初の1年の延期を経て、57年ぶりに首都に帰ってきた夢舞台は、前代未聞となる緊急事態宣言下での開催となった。開会式の直前までスキャンダルにも見舞われ、国民の機運もなかなか高まらない中で迎えた受難の大会。聖火の最終点火者はテニス女子の大坂なおみ(23)が務めた。アスリートの、スポーツの、そして日本の力が試される17日間が幕を開けた。
盟友とまな弟子に支えられながら、ミスターが悲願の五輪舞台に立った。開会式の聖火ランナーとして、プロ野球で国民栄誉賞を受けたレジェンド、プロ野球巨人で終身名誉監督の長嶋茂雄氏(85)、ソフトバンク球団会長の王貞治氏(81)、元巨人、米大リーグ・ヤンキースの松井秀喜氏(47)の3人が登場した。
式の終盤にレスリング女子の吉田沙保里さん、柔道男子の野村忠宏さんの五輪金メダリストコンビからトーチの火を受け継いだ。王氏が聖火を持ち、長嶋氏は松井氏が腰を支えるようにしてゆっくりと10メートルほどを歩くと、次走者の医師と看護師に聖火をつないだ。報道陣と関係者のみのスタンドから大きな拍手が湧くのを見届けると、3人は静かに退場した。
長嶋氏は、初めて全員プロ選手でチーム構成された2004年のアテネ五輪で野球日本代表監督に就任したが、大会を前に脳梗塞に倒れて五輪本番では指揮を執ることはできなかった。当時アマチュア最強の「打倒キューバ」を掲げ、全勝で金メダルを目標としながら、渡航はかなわず。ベンチには長嶋氏の背番号3のユニホームと長嶋氏自身が「3」と書き入れた日の丸が掲げられた。
手塩にかけて育てたのが松井氏だ。石川・星稜高を卒業後に巨人に入団し、長嶋監督の下で活躍。試合後も指揮官の自宅で素振りをするなど二人三脚で歩み、米大リーグ入りしてからも師弟関係は続いた。2人は今回の東京五輪の開催が決まった13年に国民栄誉賞を同時に受けている。
長嶋氏と「ON」として日本球界をけん引した王氏は、国民栄誉賞の第1号。前回の東京五輪が行われた64年には、1シーズン55本塁打の日本記録(当時)を達成し「東京五輪」との縁は深い。2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表監督を務め、優勝に導いた。
野球・ソフトボールが五輪競技に復帰した16年には東京五輪・パラリンピック組織委員会の理事に就任。「世界のホームラン王」として、競技の知名度向上を担ってきた。
アテネ五輪の直前まで参加を希望した長嶋氏の思いを知る盟友とまな弟子の2人に支えられる形で、五輪の舞台に立った長嶋氏。アテネでは中畑清ヘッドコーチが代役で指揮を執り、結果は銅メダルに終わった。長年の悲願を成就した後は、稲葉ジャパンに初の金メダルの夢を託す。