東洋の魔女・神田好子さん 57年ぶり東京に聖火 すごく幸せな開会式だった

 金メダルを掲げる神田好子さん=17年5月
 64年の東京五輪の女子バレーボールで金メダルを獲得し、泣いて喜ぶ選手たち
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 1964年東京オリンピック。日本で初めて五輪が開催された57年前の開会式を経験したオリンピアンがいる。“鬼の大松”こと大松博文監督の下、男女合わせて球技初の金メダルを獲得したバレーボール女子日本代表「東洋の魔女」で守りの要を担った神田(旧姓松村)好子さんだ。当時の思い出とともに、新型コロナウイルス禍で行われる2度目の五輪へ思いをはせた。

 「回転レシーブ」で守りの要を担った神田さんは、2度目の東京五輪を長く待ちわびていた。特に「行けるのなら開会式に行ってみたい。前回は、開会式に出るのは出たけど、すぐ練習に行ったんです。あの開会式を今度は外から見てみたい」と話していた。コロナ禍の今、五輪への思いは複雑になったが、57年前の開会式はあまりに慌ただしかった。

 大松監督率いる女子バレーボールは、選手村を使わず、いつも遠征時に泊まっていた日本旅館を拠点にしていた。大会前からいつもどおりの練習漬けの毎日。「朝から練習し、終わってすぐに駆けつけた。長時間待って、とにかく暑かった。ブルーインパルスがすごくはっきりと空に五輪を描いたこと、鳩がバーッと飛んでいったことは覚えている。でも、入場して退場してマスゲームなどは見ずにすぐに旅館へ帰った」

 選手村に泊まったのは「開会式の前だけだったかな。でも、食事はしなかった」と、世界中のごちそうが振る舞われ、国際交流も盛んだった選手村の生活は知らない。東京五輪の主役でありながら、「実は感動を味わっていない。(大会中は)練習ばかりしていたから。新聞もテレビも見ることがなくて」と自分たちへの注目も、すべて五輪が終わってから知ったという。

 完全燃焼した青春時代。「感動を味わえなかった」という開会式はその象徴でもある。それでも「あの中に自分もちょこっとだけいた。でも、今思えば開会式に出られてよかった。私たちの年は本当に大勢の観客が入っていた。前日までは雨だったのに、晴れてお天気がすごくよくて、すごく幸せな開会式だった」と今では宝物だ。

 だからこそ、コロナ禍で迎える五輪には「無観客は本当にさみしいしつらい。今回もみんなが喜ぶような五輪にしてほしかった。私たちもつらいが、選手はもっとつらい」と胸を痛める。「とにかく今は、一人でも感染者が出ず無事に大会が終わってほしい」と、祈る思いで特別な五輪を見守っていく。

 ◆神田好子(かんだ・よしこ)旧姓・松村。1941年12月9日、大阪府出身。守口市立庭窪中、四天王寺高から日紡貝塚(現ユニチカ)に入社。回転レシーブを得意とし、62年の世界選手権、64年の東京五輪で優勝に貢献した。五輪後に引退、退社。結婚後は地域で指導しながら3男を育て、衣料品関係の会社も営んできた。

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