若の里、引退会見で師匠とともに涙

現役引退の記者会見を終えて花束を贈られた若の里(東京・両国国技館)
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 大相撲の元関脇若の里(本名・古川忍、青森県出身、田子ノ浦部屋)が3日、現役引退を表明し、理事会で引退および年寄・西岩の襲名が承認された。今後は後進の指導にあたる。39歳の若の里は西十両11枚目だった7月の名古屋場所で4勝11敗に終わり、幕下への陥落が決定的となったが、現役として地元青森で行われる8月の夏巡業に参加するため引退を先延ばしにしていた。

 3日午後から師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)とともに東京・両国国技館で会見を行い、「名古屋場所の千秋楽で気持ちの整理はついていた。地元の巡業に出るのを楽しみにしていたし、最後のわがままを言わせてもらいました」と土俵に別れを告げる心境を語った。

 1992年3月に元横綱隆の里の鳴戸親方のもとに入門して初土俵を踏んだ。23年以上にわたる現役生活を振り返り、「ケガをするところがないというくらいケガをした。正直ケガがなければと思ったこともあったが、ケガがあったからこそここまで長くできた。悔いは一切ないです」とすっきりとした表情を見せた。

 思い出に残る相撲は2番。ひとつは98年9月場所の横綱貴乃花戦。入門する前年の中3の夏に、弘前巡業で当時三役だった貴花田の胸を借りたことが大相撲入りを決定づけた。入門当時は雲の上の存在だった貴乃花と当たることができて、「負けた悔しさよりも、対戦できたうれしさが勝っていた」と述懐した。もうひとつは14年11月場所で2年間にわたって自身の付け人だった輝(高田川部屋)と十両で初対戦した一番を挙げた。「彼と対戦した時は特別な感情があった」と次代のホープへの思いを口にした。

 同期入門した師匠の田子ノ浦親方が、「自分が引退した時よりも悲しく複雑な気持ち。名古屋場所でも、何かしてあげられたら…」と涙で言葉を詰まらせると、思わずもらい泣きした。子どものころから大相撲の力士になることに憧れ、厳しく辛い稽古にも耐えて土俵に上がってきた。度重なる手術で全身の負傷箇所にはボルトが2つ、ワイヤーが1つ残ったままだという。「相撲が好きで入った世界。楽しかった。まだまだ現役でやりたかったのが本音ですが、少し体を休めたい」としみじみと語った。

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