古舘氏会見(1) 不自由な12年間
フリーアナウンサーの古舘伊知郎氏(61)が、メーンキャスターを務めるテレビ朝日系報道番組「報道ステーション」(月-金曜、後9・54)を来年3月いっぱいで降板することが24日、同局から発表された。古舘氏は同日、都内の同局で会見し、「不自由な12年間だった」と独特の言い回しで振り返った。古舘氏の会見全文を7回に分けて詳報する。
「ありがとうございます。『報道ステーション』という番組タイトルおよび番組はしっかり残りますので、私のみが去るということですので、これはこれでいいなと思います。できればね、MCが変わるわけですから今までの報道ステーションを『報道ステーションエピソード1』に替えてもらって、4月からは『フォースの覚醒』ぐらいにやってもらえれば良かったなと思いますけども、番組自体は残るということで、これも良しと思っています」
「一つ言わせていただきたいのは、私の学びやであるテレビ朝日。私はNETのアナウンサー試験をうけて4月1日、茶封筒をもって入社式に臨んだときには看板が付け替えられていて、4月1日をもってテレビ朝日と変わっておりました。僕は場所を間違えたのかと思いました」
「1977年にこの学びやに入れていただいて育てていただいて、ずっとフリーになってやってきたわけですが、ある時から、報道ステーションは2004年の4月5日からスタート致しましたけれども、その3年ぐらい前から私の事務所の会長と現在のテレビ朝日の会長の早河さんが会って『ニュースステーションの後はやってくれないか』というような交渉があったやに聞いています」
「私も最後の1年ぐらいは参加していました。ずっと固辞しておりました。エンターテインメントという言葉がありますけれども、娯楽ですね。テレビというのは娯楽の箱だと思っておりますので、そういう意味では私はスポーツ実況やバラエティーやその他司会等々、娯楽もので生きていきたいんだとずっと言ってたんです」
「早河さんがうまくてですね。最後の方は『古舘さん、自由にあなたの絵を描いてよ、報道番組で』みたいなこと言って、ころっとだまされてやるって言っちゃったんですよね。『絵を描いてよ、自由に』と言ったわりにはものすごく不自由な12年間でございましたけれども、やってみたらとんでもないことで、言っていけないことと、いいことと、いろいろ大変な綱渡り状態で一生懸命頑張ってまいりました」
