売れっ子芸人のUターン化 岡村「大阪でやれたら一番」

ダウンタウンや今田耕司、雨上がり決死隊ら、東京で活躍する芸人の関西Uターン化が増えているなか、ナインティナインの岡村隆史がホスト役をつとめるトークバラエティ『おかべろ』は、自身にとってカンテレ初のレギュラー番組。すでに東京で大成功をおさめた芸人が、関西に帰ってくるワケとは? カンテレ本社での生放送スペシャルを終えたばかりの岡村隆史に話を訊いた。

写真/上地智

「気持ちが全然違う、東京と大阪では」(岡村隆史)

──生放送、おつかれさまでした。

おつかれさまでした、ありがとうございました。

──大阪で生放送というのは、かなり久しぶりですか?

カンテレさんはものすごく久しぶり、ですね。2009年か2010年くらいに『にじいろジーン』のゲストで来させてもらった以来ですね。よく通るんですけどね、カンテレさんの前は(笑)。

──それが今回、扇町公園でロケまでおこないました、親子コントで。

あまりこのへんで遊ぶことも少ないですから、こんな大きい公園があるんやって思って。めっちゃ環境ええなぁって。

──昨年11月にスタートした関西ローカル番組『おかべろ』の放送も53回目(11月25日放送回)となりました。番組スタート時には、「だいぶかかった」とコメントされていましたが。

そうですね。カンテレさんに認めてもらうのに。やっと見つけていただいた、と(笑)。

──それは、岡村さんが大阪出身で、もともと関西で活動していたからこその思い入れみたいなものですか?

というよりも、そもそも僕らは関西でレギュラーが無かったんですよ。その前に、東京で仕事がワーッと増えてしまっただけで。昔、フジテレビの番組のネタを固めるために、カンテレさんを借りて稽古をしたことがあったんですけど、ここじゃなかったと思う。僕が21歳のときやから。

──今の社屋に移転(1997年)する前ですね。

そうですね。13時間くらいスタジオに籠もって、いろいろネタ固めをして。30分間、僕らでネタをやらせてもらうという、それこそ『新しい波』(ナインティナインや極楽とんぼ、よゐこらがコントを披露していたフジテレビ系深夜番組)という番組やったんですけど。それぐらいしかカンテレさんとの関わりが無くて。

──大阪出身でNSC(吉本の養成所)9期生、1990年にナインティナインを結成して、その翌年には当時絶頂の人気を誇った「吉本印天然素材」に参加。その後すぐに東京進出しただけに、こちらでの仕事が無かったわけですね。

そう。だから、ずっと大阪で仕事をしたいと言っていたんです、30歳くらいから。「いつでもできますよ!」って当時のマネージャーがずっと言うんですけど、全然お声がかからなくて。35歳くらいのときも、「やりたい」「いつでもできますよ」って。だから、ようやくこうやって大阪で番組をやらせてもらうようになったという。もう気持ちが全然違うというか、東京と大阪では。

──そこが一番お聞きしたいところなんですが、東京から見た大阪というのは、芸人にとってやはり魅力的に映るんでしょうか?

う~ん、ですね。もともと東京に行きたかったわけじゃないから。友だちもみんな大阪にいるし、天然素材のメンバー(雨上がり決死隊やFUJIWARAら)もみんな大阪やったから。当時、「銀座7丁目劇場」があって、そこに2日にいっぺん出ていたんですけど、全然知らない芸人さんばっかりで。「心斎橋筋2丁目劇場」のときは、楽屋でもみんなとワーってしゃべってたんですけど、「銀座7丁目劇場」の楽屋なんて誰ともしゃべってない。そのときは地獄でしたね。

──地獄、ですか。

銀座なんて全然知らんし、ごはんを食べに行くにも、なにがあるのかもわからへん。唯一分かるのが「かに道楽」。隙あらば、かにばっか食べていましたね(笑)。

──東京を目指していたわけでもないから、当然なにも知らないですよね。

そう(笑)。楽しいことがずっとなくて。だから時間ができればすぐ大阪に帰っていたし、ほんま今でも言うてますけど、住民票も大阪に置いたままですし。別に媚びているわけでもないんですけど、大阪の方がやっぱ落ち着くというのは昔からあるんですよね。東京は、仕事をするところ。落ち着かない。

「結構言われる、『なんで今さら大阪に?』って」(岡村隆史)

──これだけ長い間、東京で活動していてもそういうものですか。

今でも僕にとっては住むところじゃないですね。

──では、東京と大阪、番組を作る上での自由度や面白さ、そういった面ではどうですか?

東京はカッチリしている番組が多いですよね。何時間も打ち合わせして、ひとつの作品を作るという感じですね。一方、大阪はノリとか、自由にやっていくというか。どっちもいいところはあると思うんです。若い頃は「こうしてください、ああしてください」って言われるのは窮屈やったけど、でも、この世界にもう20何年いますから。それなりの技術や経験がある分、「自由にやってください」と言われると楽しいんですよね。

──カッチリした打ち合わせと段取りを踏む東京スタイルと、その場の雰囲気や演者任せの関西スタイル、そういう違いですね。

だから、どっちもあると思うんですよ、面白さは。僕が大阪の番組に出てなかったから分からなかっただけで。カンペ1枚でどんどん番組が進んでいくというのは、それはそれで僕らがどう面白くできるか試される部分も多いやろうな、と。東京と大阪、どっちもやっていたら良かったんですけど、東京のやり方だけで今まで来たもんですから。でも逆に、昔やったら、大阪のノリに対して「どうしたらええんや?」ってなっていたかもしれん。それなりに経験を積んできたからこそ、楽しめているかなと思っていますけどね。

──経験を積んだからこそ、大阪の番組を楽しめるところがあると。

そうですね。でも、結構言われるんですよ(笑)。「なんで今さら大阪に? やめてくださいよ」とか。

──FUJIWARAの藤本敏史さんに「ズルイ!」って言われてましたね(笑)。

「お前ら汚いぞ!」って(笑)。そんなん言うけど、FUJIWARAも東京出てきたやんっていう(笑)。あんたたちは大阪で頑張ったかもしらんけど、結果、東京出てきたでしょ?って。そんなこと言うなやって(笑)。まあ、それも分かるんですけどね。でも、ゆくゆくというか、この先のことを考えると、僕は大阪に戻ってきたいんですよね。東京の仕事はいいんですけど、大阪の方が気持ち的に絶対落ち着くんです。それは大阪に来るようになって分かったことで。

──番組を作るということだけでなく、精神的にも。

そうですね。大阪の方がお店も知っているし(笑)。

──芸人仲間でもそういう話になりますか? 最近は、ダウンタウンのおふたりがそれぞれ街ブラ番組を関西でやっていますし、ほかの芸人さんも多いですが。

やっぱり、東京じゃなく大阪でやる意味というのはあると思いますし、特にダウンタウンさんとか大阪で天下取ってから東京に出てきてはるから、大阪の人は絶対うれしいと思うんです。僕らは、大阪で売れたわけじゃないから。東京からスタートになっただけで、「なんで今さら大阪?」と思う人もいるかもしれない。だからちょっとずつ、大阪に根付いていけたらなあって。ただ、相方は東京のど真ん中に住んでいるんですよねぇ(苦笑)。

──矢部さんは東京っぽいですね。

東京ですね、シティ派なので。完全に東京に染まってるんで(笑)。ただ最近、ちょっとずつ「見てるよ!」って言ってもらえることが増えてきたんですよ、大阪の人に。「東京の人が来てはる!」じゃなくなってきたらいいなぁって。

──そういう意味で、この『おかべろ』はどんな番組にしようとスタートしたんですか?

今はスケジュールの都合で東京で撮ることが多いんですけど、やっぱり大阪でやれたら一番いいんですよね。なんなら、大阪で撮っていると思っている人も多いでしょうし。一応お店という設定(ロンブー亮が経営するバーで、常連客の岡村がゲストとトークする設定)だから、あっちこっちにお店も出せると思うし。それこそ間寛平さんと村上ショージさんのロケだけでやるのもありやし。もっと自由度を高くしてもいいかな、とは考えていますね。

──毎週毎週、大阪で収録できるようになれば、また違った空気感が生まれそうですね。

そうなんですよね。やっぱり大阪でやらせてもらっている分、もっと大阪色を強くしていってもいいかなって。東京のトーク番組とかじゃ言わないことも、ポロッとしゃべってもらえたらありがたいなって(笑)。

(Lmaga.jp)

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