海原はるか・かなたの爆笑トーク 17歳で家出、優しいオジサンに出会うも窮地に
ベテラン漫才コンビ海原はるか・かなたは結成して来年、50周年を迎える。それぞれ俳優を目指すも縁あって海原お浜・小浜に弟子入りした。二十歳を少し越えたころだった。すぐに売れっ子になったわけではなく、低空飛行が続く。はるかの薄毛を、かなたが「フーッ!」と一息で飛ばす一発芸でブレークしたときは40歳を越えていた。ベテランの紙上爆笑漫才をどうぞ。
◇◇ ◇◇ ◇◇
-芸能界を目指し、意思が固いことを両親に示すために家出をしたということでした。何歳のときに。
はるか 17歳です。高校2年でした。
-期間は。
はるか えっとね…
かなた 日帰りやろ。それは家出とは言えへん。
はるか 当時は熊本に住んでいまして、鹿児島へ行きました。
かなた なんで鹿児島なんや。
はるか 大阪とか都会に行くのは怖い。鹿児島くらいならいいかなって。鹿児島でうろうろしてたらオジサンが声かけてくれたんです。「にいちゃん、家出やろ。おなか減ってるか。ラーメン食べさせたろ」と。世の中にこんな親切な人がおるんやと思って感激しましたよ。「今日はうちに泊まり。明日、お父さんとお母さんに連絡したげるから」って。オジサンの家に連れて行ってもらってラーメンをごちそうになって。オジサンは「家出はあかん」と優しく怒りながら浴衣を貸してくれました。僕はパンツ一丁でそれを着て寝たんです。着ていた服は全部枕元にたたんで置きました。
かなた 同じ部屋でか。
はるか 別々の部屋やった。うつらうつらしてたら人の気配がしてパッと目を開けたんです。そしたら両足が見えて。何かなと思って見上げたらオジサンが下半身丸出しで僕を見てて、ひとこと、「怖くないのよ」(一同大爆笑)。
かなた それでどないしたんや。
はるか 枕元に置いてた自分の服を全部持って飛び出して。公園で着替えてたら今度は警察が「きみ、何してんねん」て。鹿児島の警察の牢屋に入れられて、朝6時半に起こされた。朝食はパンと具のないみそ汁やった。両親が迎えに来てくれて熊本に戻りました。深く反省しているフリをしましたけど内心、「これで芸能界に入りたいというおれの気持ちは伝わったかな」と。弟も応援してくれて「アニキ、これでまずは第一関門は突破したな」と話し合いました。
-その鹿児島のオジサンは何歳くらい。
はるか 40前後やったかな。見た目は普通の人でした。今やからそういうことが目的やったんやと分かりますけど、50年も前の熊本ではぜんぜん分からない。なんせ、おなか減ってたんでね。ラーメンに釣られました。ラーメン食べる?と言われてめっちゃ嬉しくて。
かなた お前、そのままその世界になじんでたら芸能界やなくて、違うゲイ界に行ってた。はははは。
はるか ほんまにそうや。
かなた 芸人じゃなくてゲイ人に。
-50年前では何のことか分からないもんですか。
はるか まったく分からないです。今でこそ、ああ、あれはそういうことやったんかと。
かなた われわれの時代やったらそんなことはまったく考えられないです。今とは違う。
はるか そうそう。…俺らのころは内田高子さんという、わき毛女優さんがいたな。
(再び爆笑)
かなた いたいた。
はるか わき毛を見ながらひとり興奮してた。黒木香さんでもなく。初代のわき毛女優さん。僕が17歳くらいのときやった。
かなた きれいな人でな。なんでわき毛…。
-あの…わき毛はそれくらいで。芸能界入りにご両親は大反対だった。
はるか 親は日大芸術学部への進学を提案してくれました。大卒という看板があったら就職で便利やろうと思ったんでしょうね。でも、僕にしたら学費がもったいないし。熊本の50何年前の片田舎の人間にとっては東京には怖いイメージもあったし。
かなた それで大阪か。
はるか 大阪にもきっかけがなかった。だから全部の新聞社に手紙を出して。そしたら読売新聞の方が2年間新聞配達するなら「明蝶学院」(※)という芸能学校があるから奨学金みたいなん出したげますよという話になって。大阪の日本橋にあった直売所で2年間新聞配達しながら明蝶学院に通いました。
※松竹新喜劇の俳優・曽我廼家明蝶(そがのや・めいちょう)が設立した俳優養成所。
かなた 現在のように色んな芸能事務所が養成所を抱えているわけでもなく、芸能界に入ること自体が今よりものすごい狭き門やったからな。僕も、とにかく明蝶学院に入ろうと思って。当時の新歌舞伎座に明蝶先生が出演されていたときに出待ちをして、勇気を振り絞って「学校はどこにあるんですか」とお尋ねしました。
-それで明蝶学院の4期生として出会ったわけですね。はるか師匠の髪を一息で吹き飛ばす「フーッ」のネタが誕生した経緯を。
かなた それは、ほんま偶然やったんです。
〈WHO’SWHO〉 海原はるか・かなた(うなばらはるか・かなた) 立ち位置向かって右がはるか、左がかなた。はるかの本名は和泉秀一。1948年、熊本県出身。かなたの本名は西尾伊三男。1947年、奈良県出身。海原お浜・小浜に弟子入り。かなたがはるかの髪を一息で飛ばす一発芸でブレーク。はるかはダウンタウン松本人志が監督した映画「大日本人」に出演。2000年、上方漫才大賞奨励賞を受賞。