「ラヴィット!」南波雅俊アナ 立大時代はモノマネショーでバイト B´z特訓2時間×週5

 サイドスローの投球フォームを披露する南波アナ
 報道、スポーツと活躍をする南波雅俊アナウンサー(撮影・佐々木彰尚)
 スポーツ・報道からバラエティーまで幅広く活躍するTBS・南波雅俊アナウンサー(撮影・佐々木彰尚) 
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 TBSの南波雅俊アナウンサー(34)が、八面六臂の活躍だ。野球の国際試合を中継したいとNHKから転職してきた異色の経歴の持ち主は、3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で悲願の実況を担当。情報番組「Nスタ」(月~金、後3・49)では硬派なアナウンス力を発揮する一方、バラエティー色の強い「ラヴィット!」(月~金、前8・00)ではB´zのモノマネで大暴れする。一体どんな人物なのか。本人を直撃した。

  ◇  ◇

 「これ、大丈夫ですか?」。インタビュー中、南波アナは何度も広報担当者に確認した。包み隠さず話すが、誰かに迷惑はかけたくない。義理堅い人柄が愛されキャラの理由をのぞかせた。

 大きな話題を呼んだのが、3月9日、WBCの日本代表初戦・中国戦。転職してまで夢見た野球の国際試合で実況を任された。前日は自宅で資料を作り直し、終わったのが午前3時。「ほぼ寝てなかったですね。2時間くらい仮眠して、もっと寝ないといけなかったんですけど、高ぶってしまって」。NHK時代に担当した夏の甲子園大会の実況時を思い出そうと、応援曲「ジョックロック」を流し、気持ちを集中させたという。

 大会前には、同じく実況を予定していたTBSの新タ悦男アナ、決勝戦を託されていたテレビ朝日の清水俊輔アナと決起会を開催。「言葉」より「間」を生かすことの大切さを確認し、落ち着いた語り口で日本の完勝を伝えた。「もっと中国の選手のことも言えたなとか反省はたくさんあるんですけど」と悔いも残るが、忘れられない1日となった。

 かつては野球少年。中学3年生で最速135キロを誇る投手だった。強豪・国学院久我山高に進学後はフォームを崩すも、サイドスローに転向して復権。秋季都大会で、のちにプロとなる早実の斎藤佑樹投手と投げ合った。

 一方、現在につながるB´z愛も学生時代から燃えさかる。髪形を敬愛する稲葉浩志と同じにし「中学3年間は部屋でDVDを見ながら2時間くらいモノマネをするのが日課でした。週5日はやっていたと思います」と猛特訓。高校の文化祭ではB´zでカラオケ大会3連覇を達成した。

 立大時代にはモノマネショーからスカウトを受け、アルバイトとして従事。当時はB´zだけでなくMr.ChildrenやX JAPANら10を超えるレパートリーを披露していたという。

 卒業後は野球の仕事がしたいと12年にNHK入局。3つの放送局を経て、20年10月にTBSに転職すると、副産物的に脚光を浴びたのがモノマネだった。

 今では「ラヴィット!」などのバラエティーですっかり恒例となり「こんなことになると思っていなくて」と照れ笑いする。

 「ひょんなことから披露することになって、超痛い奴みたいになると思っていたら、温かく受け入れていただけて、ありがたいなと思います。モノマネ芸人になりそうなところからNHKに入って、TBSに転職する、みたいな変なキャリアなので、こうなったら独自の道を突き進んでやろうと思ってます」

 現状を面白がりながらも「ただ」と続けた。「最終的な部分でいうと野球の実況をやりたいので、3年後のWBCも関わりたいですし、いろんなことをやっていると現場にいく時間も減っていくので、よりスポーツに注力していくのを軸にしたい。『Nスタ』も大事にして、存在感を出していきたいです」

 NHK時代から積み上げてきた「スポーツ」と「報道」の幹がしっかりしているからこそ、枝の「バラエティー」が咲き誇る。「戻ってこられる場所を大事にしつつ、B´zは飽きられたら飽きられたでいい。不思議な感じというか、どこにたどり着くかわからない感じを楽しみたいと思います」。唯一無二の“ウルトラソウル”が燃えていた。

 ◆南波雅俊(なんば・まさとし)1988年5月4日生まれ。東京都出身。2012年にNHK入局。岡山、大分、広島放送局を経て、2020年10月にスポーツ実況の経験者を募集していたTBSに転職。現在は「Nスタ」の月・火・水曜日に出演。「ラヴィット!」には不定期に登場し、B´zのモノマネを披露している。

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