「鎌倉殿」三浦義村、執念の血脈 子孫に徳川将軍8人「お前を超えてやる」から5百年 幕末は大江殿末裔と激突

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は18日に最終回「報いの時」が放送され、激動の物語が完結した。終盤、北条義時(小栗旬)に対して暗躍を続けた三浦義村(山本耕史)が、武家の頂点に立った義時に「お前にできたことが俺にできないわけがない」と嫉妬。「俺はといえば結局、一介の御家人に過ぎん」と不満をあらわにした。

 毒を盛られたと思い込んでいるので、途中でろれつが回らなくなったが、「いつか、お前を超えれやる、超えるえやる!」と宣告した。

 義村は、義時没後も15年、存命だったが、義村没後に三浦宗家は滅亡した。

 しかし、「鎌倉殿」には北条泰時(坂口健太郎)の賢妻・初(福地桃子)として登場した、義村の娘矢部禅尼の子孫は、泰時との間に生まれた4代時氏から9代高時まで、北条得宗当主として鎌倉を支配した。

 また義村の娘矢部禅尼は、早い時期に泰時と離縁したとも伝わる。その後に嫁いだ家の血筋が、長い年月を経て、徳川家康の側室・お万の方にたどりつくとされ、神奈川県のホームページなどでも紹介されている。

 お万の方の子は、紀伊藩と水戸藩の祖となり、水戸黄門でおなじみの徳川光圀のほか、徳川将軍8代吉宗から15代慶喜までが、血筋にあたる。

 一方で、大江広元(栗原英雄)の子孫は毛利元就で、幕末には徳川幕府と長州藩の形で激突したことになる。

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