フェスとデモを進化させた男・大久保青志〈後編〉ロックは特に社会性のある音楽

 音楽雑誌「ロッキング・オン」創刊メンバー、故内田裕也さんのマネジャー、伝説の音楽フェス「アトミック・カフェ」主催、議員、政策秘書、反原発集会で10万人動員…驚異的な振り幅の経歴を持つ大久保青志氏(70)が先月、回想録「フェスとデモを進化させる 『音楽に政治を持ち込むな』ってなんだ!?」(イースト・プレス)を発表した。型破りの市民運動家、イベンターである著者に、フェスとデモの過去、現在、未来を聞く、その後編。

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 アトミック・カフェは2011年の福島第1原発事故をきっかけにフジロックフェスティバルで復活した。YMOやMANNISH BOYS(斉藤和義、中村達也)らアーティストからジャーナリストの田原総一朗氏、玉城デニー沖縄県知事までさまざまな人々が出演したが、16年、安保法制反対運動の中で脚光を浴びたSEALDsの奥田愛基氏の出演が発表されると、ネットを中心に突如「ロックに政治を持ち込むな」という批判が巻き起こった。

 欧米ではアーティストが政治的な意見や立場を示すのは普通のことだ。ロックと政治の関係の基礎知識が欠如した批判に、大久保氏は「何なんだろうなコイツらっていうか、底の浅さというか、ロックが好きな人じゃない人じゃないのかなって」とあきれた。

 一方で、社会的な発言がまだまだ少ない日本のアーティストに対しては「ロックは特に社会性のある音楽だと思うんだけど、自らの表現として社会とあまり結びついていない人たちの方が多かったということでしょうね」と指摘する。

 社会運動が低調だった90年代も「社会の中で問題が起これば、若い連中はちゃんとそれに対して向かい合うだろう」と思っていたという。実際に、原発事故後には首都圏反原発連合(反原連)が、安保法制ではSEALDsが現れ、若い世代による新たな方法のデモが脚光を浴びた。

 大久保氏は82年に保坂展人(現世田谷区長)との出会いから故土井たか子氏の市民秘書になり、89年には土井チルドレンとして東京都議選にトップ当選。その後に3国会議員の政策秘書を歴任し、市民運動とは違う政界の現実を学んだ。

 「法律とか条令とかの枠の中で枠を改革するところだから縛りがあるけど、縛りを変えないと社会も変えられないので妥協も必要。秘書になったり議員になったりすると批判だけじゃすまない。そこの違いは学びました。100%を求めても、70%、50%でも世の中が少しは国民のために良くなれば、それはそれで成果としなければダメなんじゃないか」

 大久保氏は4月に古希を迎えた。現在も市民運動家であり、音楽フェスから政治運動までを担うイベンターである。今後も「運動的なことはやめられないのかなと。政治とは、社会とは離れられない存在で、これからもたぶん同じ人生を歩むでしょうね」と笑う。

 今の日本について「格差はどんどん広がっているけど、若い人たちにとっては安定的な社会。非正規でも何とか食えるしさ。なんで野党に代わってもらわなきゃいけないのかっていう思いの方が主流だからそう(自民一強)なんでしょうね」と分析。「解き放たれるような政策というか考え方というか夢というか理想を語る人が(野党に)見えないと、政権交代は難しいかな」とシビアに指摘する一方で、若い世代には期待もしている。

 「僕はフライデー・フォー・フューチャーの若い人と一緒に、彼らがやろうとしている、気候変動に対して危機を訴えるライブイベントのアドバイザーをやってるんですけど、気候危機に対して意識的に立ち向かわなきゃいけないという人たちは増えてますね。それがどれだけの広がりを持って多数になるかによって、社会がまた変わっていくかもしれないな」と、未来への希望を見いだしていた。(終わり)

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 大久保青志(おおくぼ・せいし)1951年4月25日生まれ、東京都出身。72年、ロッキング・オン創刊に参加。75年、故内田裕也さんのマネジャー就任。84年、第1回アトミック・カフェ・フェスティバル開催。87年、故土井たか子氏の市民秘書。89年、東京都議会選でトップ当選。93年の落選後、故國弘正雄氏、保坂展人氏、辻元清美氏の政策秘書を歴任。2000年、フジロックフェスティバルのNGOヴィレッジ村長。11年、同フェス内でアトミック・カフェ再開。音楽フェスと政治デモに特化したイベント会社「レーベン企画」社長。12年、「さようなら原発10万人集会」運営。

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