平松愛理 震災20年はやはり特別

 6434人の尊い命を奪った阪神・淡路大震災の発生から、17日で20年。神戸市に本社を置くデイリースポーツでは、地元にゆかりの人たちからのメッセージを掲載します。同市須磨区出身で、震災復興ライブ「1・17 KOBE MEETING」を継続開催するシンガー・ソングライターの平松愛理(50)に聞いた。

 これまで、震災から5年目も10年目も15年目も、人の命に節目はないと言い続けてきましたが、20という数字はやはり特別ですね。震災の年に生まれた赤ちゃんが成人を迎える。自分がやってきた「KOBE MEETING」の19年間の思いの、1つの結びとなるような気がします。

 神戸レインボーハウス(あしなが育英会が運営する震災遺児施設)に、震災の年に生まれた赤ちゃんがいたんです。命が失われる虚無感が心にあふれている時に、新しい命が生まれるんだ…っていう感動がありました。

 私も(子宮内膜症のため)かなり危険な出産をして命の重みを経験したことがあります。生きていられる事実が当たり前になっている中、それがいかに特別なことか、震災によって志半ばで失われた多くの命が教えてくれたと思います。

 震災から20年。神戸の街はすごいスピードで変わり、元に戻る以上の新しい街になった印象があります。新長田や鷹取商店街の辺りを歩くと、復興という名のもとの変化をはっきり見てとれます。逆にあの日から、時計の針が止まっている部分も肌で感じられます。

 17日に行う「KOBE-」(新神戸オリエンタル劇場)は今回で20回目。いろんなことがありました。震災から2年目から7年目ぐらいまでは、ラジオでプロモーションをしようと思っても「震災」の言葉を使わないでほしいとの要望が多くの局からありました。「もう未来に向かってるんや、もう振り向きたくないねん」って。傷口を余計に広げているのか、もうやめようかとも思いました。

 私の実家の付近も全壊した家が多く、ほとんど何もなくなりました。あの風景を思い出すと、やはり忘れてはいけない、声を上げていく人間が1人ぐらいいてもいいと思ったんです。

 風化というのは恐ろしいもので、震災から3年もたつと、東京でも、1月17日だから神戸に帰ると言っても「何で?」という反応です。阪神・淡路大震災と言えば、ああ、となるんですけど。特に東日本大震災が発生してからは、新鮮な話を聞いているようなリアクションで受け取られている気がします。

 だからこそ、あの日のことを、1年に1回でもいいから思い出し、手を合わせ、今生きていることを見つめ直し、自分に何ができるんだろうと考える。そういう時間を持ってもらえれば。それが「KOBE-」を開催する意味だと思っています。

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