松山英樹の恩師・阿部監督 デイリースポーツにマスターズ制覇予言していた

 グリーンジャケットを着て喜ぶ松山英樹(AP=共同)
 号外を手に喜ぶ東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督
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 「米男子ゴルフ・マスターズ・最終日」(11日、オーガスタ・ナショナルGC=パー72)

 「監督、やりました」。東北福祉大ゴルフ部で指導した阿部靖彦監督(58)の元に、表彰式直後の松山英樹から電話がかかってきた。涙声の短い報告。「俺と英樹だから多くは語らない。帰って来たら褒めたい」。アマチュアだった大学生の時、初めてマスターズの出場権を獲得したが、大会目前で東日本大震災が発生。迷った末、被災者らの声に押され出場した。阿部監督は「あの大会がスタート。いろんな人の支えがあって、人として成長し、今の松山英樹につながった」と実感を込めた上で「もっと先へ進むのが英樹だ」とさらなる期待を寄せた。そんな恩師はかつて、デイリースポーツにマスターズ制覇を予言すると同時に、世界のマツヤマへ羽ばたこうとする愛弟子とのエピソードを語っていた。

  ◇  ◇

 松山が大学生の時に今の姿を想像する人は誰もいなかったでしょう。そこは本人の意識と努力のたまもの。誰もが松山になれるか、と言ったら誰もなれないと思う。

 高校3年でスカウトに行くと、プロになるか大学に行くか迷っていた。父親はプロにしたかった。母親はう~んって感じ。私は松山に「今のままでもプロにはなれる。でも、そこそこのプロ止まりだよ」ってはっきり言った。「最初から世界を目指して世界の大舞台で戦うプロになれ」とその場で話した。家族も大学に行ってプロになった方がいいだろうとなって、本人もそう思ってうちにきた。

 だから大学に入ってきた時から「やることはいっぱいあるぞ。人の2倍、3倍なんてもんじゃないぞ。5倍、10倍と努力しないといけないぞ」と。細かったからね、高校の時は。体つきは大学1年、2年、3年、4年、プロに入ってから、そして今、と全部違う。

 2011年3月11日、東日本大震災。あの時、われわれはオーストラリアでキャンプ中だった。自分だけ飛行機で帰ってきて、仙台に戻ったらびっくりする状況で。マスターズに出していいものか葛藤した。それが報道されると学校に全国からすごい数の電話、ファクス、メールが届いて「マスターズで頑張る松山の姿が見たい」「ぜひ出場してほしい」という激励をたくさんいただいた。

 今も俺は忘れていないし、あいつも忘れていない。それだけは忘れちゃいけないし、忘れられない。現地にA4のファクス、メールを持って行きましたからね。「これだけの人が応援してくれているぞ」って。あれがなかったら今の松山はない。そういう気持ちを持てる子だったから。

 最初のマスターズは右も左も分からず「将来プロになった時の下見のつもりで気楽に行け」と、キャディーもアジアアマと同じ同級生をつけた。それでローアマを獲った。最終日にはもう決まっていたから、朝から表彰式や英樹のスピーチを考えたりで大変。英樹には「18番のグリーンに上がってくる時には、帽子を取ってパトロンに頭を下げてこい」とだけ言っておいた。それがバーディーを獲って、ものすごい盛り上がり。「本当におまえは最後だけは格好つけるな」ってね。

 で、自分も表彰式の末席に座らせてもらい本当に緊張した。今でも覚えているのは、俺はその時「自分が生きている間、ゴルフに関わっている間に、この表彰台に上がる日本人選手は松山英樹しかいないだろう」と言ったこと。アマチュアで出場する日本人選手は出てくるだろうけど、表彰台には上がれないだろう。そして松山がプロになった時、ここで優勝して表彰式に出るだろう、と。そういう思いがあった。

 松山も一度経験して、もう一度あそこに出たいという思いを持った。人一倍メシを食うようになったし、トレーニングをするようになった。意識が変わったのは、あの初めてマスターズに出た時。ガラリと変わったよ。

 大学3年で2度目のマスターズに出た時、みんな悔しくて泣いていたって言うけど、あの涙の意味は俺と松山の中では違う。「同じ土俵に上がったらアマもプロも関係ないし、先輩も後輩も関係ない。優勝を狙わないといけない」って言った。

 松山は3日目を終えて次の年の出場権を狙える位置にいた。だから「ここで来年の出場を決めるぐらい攻めろ」「ローアマは1回獲っている。今回はローアマを獲りに来たんじゃない」って言った。そしたら78ぐらい打って順位を下げたけど、あれも一つの経験。そういうものを一つ一つ積み重ねて強くなっているんじゃないか。

 その後、アジアアマに負けてオーガスタに行けなくなり、俺は「プロになれ」と決断した。松山は「えっ、いいんですか」って。「まだパーフェクトじゃないけど、その位置に近づいている。頑張ってみろ」と。プロになる時に「試合に行って、ただのプロになるだけならやめろ。出る試合はすべて優勝を狙え」って言った。

 松山は「分かりました」と。「俺は日本のプロになれ、なんて一回も言ってないぞ」「それも分かっています」と。「日本と米ツアーを行ったり来たりするようなプロにはなるな。行ったら最低10年は帰ってくるなよ。10年はシードを獲れ」と最初から言っている。10年はやらないと本物の世界のプレーヤーにはなれないから。

 松山のいいところは、絶えず向上心があるところ。米ツアーで勝ったから、メジャーで1勝したから、四大大会すべて勝ったから終わりではない。思い描いた夢に向かって積み重ねていく。そこに他の選手との違いがある。夢、向上心、志がなくなったら弱くなる。でもあいつは妥協することを知らないから。向上心を忘れない限りまだまだ伸びていく。

 メジャーでどれが一番かといったら、やっぱりマスターズ。最初に出た大会だし思い入れが違う。オーガスタはアマチュアに優しくて、クラブハウスでディナーを食べさせてくれるし、宿泊もできるんですよ。でも松山は「無理っす」って言って泊まらなかったけどね。

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