元鶴竜の音羽山親方が照ノ富士に敬意「あの体でよくここまでやった」モンゴルの後輩にエール「指導に必ず役に立つ」
日本相撲協会が17日、横綱照ノ富士の引退、年寄承認を発表した。元横綱は引退後5年間は名跡も持たずにしこ名で親方になれるため、照ノ富士親方として協会に残る。同日午後に国技館内で引退会見が行われる。
これを受け、音羽山親方(元横綱鶴竜)が取材に応じ、モンゴルの後輩横綱について語った。
まずは「お疲れ様でしょう。あの体でよくここまでやったんじゃないですかね」と労った親方。「あれだけのケガがある中で、出てきたときは結果を出すというのは素晴らしいこと。足も腰もいろんなところをケガしながら、心折れてもいいくらいですけど、それを乗り越えて、あの地位から戻ってきて横綱にまで上がったわけですから。それは素晴らしいことですよ。なかなかできないです」と語った。
「だいたい、そこでみんな辞めていくと思うんです。辞めたいと言った本人を引き留めた親方もまた素晴らしいと思います。まだやれるっていうのを感じたんでしょうね」と横綱の師匠、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の心中を想像した。
初優勝を果たし15年夏場所後に大関昇進した照ノ富士を「上がって来た時は横綱になるなという勢いで、トントンと大関まで上がって。そこからケガが続いて。それまでだったら、すぐに横綱になる勢いがありましたよね」と述懐した。
そして「最初は体の大きさを生かして。相手に押されても下がらないし、素晴らしい相撲を取っていたと思いますけど、相手を受ける相撲というのが結局ケガにつながった。相手の力もモロに受けるというのは、それだけ危ないことなので」と評価した。
そして復帰後を「そこから変わりましたよね。前に前に出るっていう意識でね。足はどうしようもないので、上半身の筋肉を付けて。普通はダメだと思いますけど、あれだけのタッパがあったから、なんとかなったんだと思う。足が悪くて上半身だけ鍛えても、そこまではいかないと思います。あれだけのタッパがあったからこそ、上半身の力で、腰の状態をカバーできた。普通逆じゃないといけないんですけど。でもあのタッパが、懐の深さが武器になったという、これなら行けるぞっていう自信になったんじゃないですかね」と語った。
「やっぱり最初に上がったときと今の体まったく違いますからね。昔はちょっとあんこで、今は逆に肩周りとか必要な筋肉をつけてっていう感じになってますけどね」
この経験を生かした親方として「ケガして、落ちて、休んで。いろんなことを経験して、全てを経験している親方として、指導に当たっていけるんじゃないかな。これからの指導に必ず役に立つと思います」と締めくくった。
照ノ富士は大関からけがで序二段まで下がったものの、再び這い上がって横綱まで上り詰めた。この初場所では3場所ぶりに復帰したが、初日に小結若隆景、4日目に翔猿に敗れ、5日目の16日に右膝と腰の痛みで休場。優勝回数は10度。親方となる条件となる日本国籍は2021年8月に取得している。
照ノ富士は2日目の取組にはモンゴルの母、妻と長男を国技館に招き隆の勝から白星。「自分の中でやれることをやってダメだったら、という思いはあった。もう一回、今までの相撲をやってみたい思いだった。自分の全てを出し切りたい、後先考えずやりたいと思っていた」「今日はお母さん、奥さんと子供が見てくれた。勝っている相撲を見せられて良かった」と語っていた。
横綱在位は21場所。一人横綱だった照ノ富士の引退により、初場所後に新横綱が誕生しなければ1993年初場所以来、32年ぶりに横綱が空位になる。また、2003年春場所から務めた朝青龍以来のモンゴル出身横綱の系譜も中断することになる。
今場所では綱とりに琴桜(佐渡ケ嶽)、豊昇龍(立浪)の両大関が挑戦。琴桜は5日目までで1勝4敗と脱落。モンゴル出身の豊昇龍は4勝1敗と望みをつないでいる。
◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお=本名杉野森正山)第73代横綱、伊勢ケ浜部屋。1991年11月29日生まれ。モンゴル・ウランバートル出身。鳥取城北高から間垣部屋に入門し、11年5月の技量審査場所初土俵。13年春場所後に転籍。初優勝の15年夏場所後に大関昇進。両膝のけがなどで19年春場所に序二段転落。再入幕の20年7月場所を制し、21年夏場所で大関復帰。日本国籍取得後の同年秋場所で新横綱。優勝10回。殊勲賞、敢闘賞、技能賞各3回。得意は右四つ、寄り。192センチ、176キロ。





