柔道・角田夏実 二大必殺技で31歳初五輪 遅咲きの女王「挫折したが金メダルで恩返しを」

 パリ五輪への意気込みを語った角田夏実
 練習中に今井コーチ(右)と話し込む角田夏実
 今井優子コーチ(左)と角田夏実=4月13日撮影
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 7月26日のパリ五輪開幕まで、17日であと100日となった。日本勢の大会メダル第1号は、夏季大会の日本選手団通算500個目というメモリアルも懸かる。大会第1日は柔道の最軽量級、スケートボード・ストリート男子などが有力。柔道女子48キロ級は、31歳で初の五輪に臨む角田夏実(SBC湘南美容クリニック)が、2004年アテネ五輪の谷亮子以来20年ぶりの同階級金メダルに挑戦する。

  ◇  ◇

 パリ五輪初日に登場する遅咲きの柔道女王が偉業に挑む。角田は開幕100日前となるプレッシャーや緊張感について「今はあまりない。とりあえず、しっかり(現時点での)準備はできたかな」と強調。「ここからは(今までと)同じように、また(戦える状態を)つくっていければ。試合も五輪は五輪ですけど(大舞台の雰囲気に)のまれないで、いつも通りの準備の仕方でしていければいい」と深呼吸した。

 一撃必殺のともえ投げ、寝技での腕ひしぎ十字固めという二大必殺技を持つ異色の業師だが、2019年の最軽量級への階級変更を契機に大きく飛躍を遂げた。東京五輪を逃した際には引退も考えたものの、21年からは世界選手権で3連覇を飾り、昨年6月にパリ五輪代表に内定。31歳11カ月で迎える初の五輪は、日本女子では東京五輪の浜田尚里(30歳11カ月)を抜いて最年長となるが「年齢もどんどん重ねていくので、毎年毎年一つの試合も落とせないという気持ちで臨んできた。何回も挫折したが、たくさんの支えでここまで来られた。金メダルという結果で恩返ししたい」と感慨を込める。

 相手をねじ伏せる戦いぶりは年齢を重ねるたびにすごみを増しているが、20代中盤までは故障も重なり、五輪を意識するどころか日本一にも届かなかった。高校時代はインターハイ3位に輝いたものの、卒業時には「パティシエになる」と柔道を辞めて専門学校に進むことも真剣に考えた。

 ただ、国立大学の東京学芸大から誘われ、推薦での進学を決意。当時強豪ではなかった柔道部は自由な気風で、練習も学生が主体的に考えて行っていた。そこで部のOBらが道場に集まり、自主的にやっていたのがブラジリアン柔術の練習だった。角田も毎日のように参加し、寝技で抑え込み主体ではなく関節技で一本を取るための技術を磨いたことが、後に開花するきっかけとなった。

 パリでは日本選手団の切り込み隊長を務める。日本女子の増地克之監督は、2日目に出場する52キロ級の阿部詩(パーク24)と角田について「心強い。この2人は大黒柱。チームに勢いをつけるためにも頼もしい」と絶大な信頼を寄せる。

 夏季大会の日本選手団のメダルとしては、1920年アントワープ五輪で男子テニスの熊谷一弥が獲得した銀メダルが第1号で、2012年ロンドン五輪でレスリング男子の米満達弘が通算400号となる金メダルを獲得。前回の21年東京五輪で合計499個となっており、パリ五輪の第1号が500個目のメモリアルとなるが、角田か、男子60キロ級の永山竜樹(SBC湘南美容クリニック)が決勝進出を決めた時点で確定となる可能性も高く、有力候補だ。

 トップバッターとして登場するものの、角田自身は「あまり気にしない。世界選手権でも最初なので、いつも通り戦う」と泰然自若。五輪前最後の実戦となった3月末のグランドスラム(GS)アンタルヤ大会(トルコ)では左膝を負傷したものの、5試合全て一本勝ちと圧巻の強さを発揮し「これで五輪も思い切って戦える」。記録にも記憶にも残る決戦にすべく、柔道人生の全てをぶつける。

 ◆角田夏実(つのだ・なつみ)1992年8月6日、千葉県出身。8歳から柔道を始めた。52キロ級では、八千代高2年時に全国高校総体3位に入り、東京学芸大3年時の全日本学生大会で優勝。実業団に進むと、16年講道館杯で初優勝し、初出場の17年世界選手権で銀メダルを獲得した。19年に48キロ級に転向し、同年の講道館杯、GS東京大会で優勝。同級では21年から世界選手権3連覇を果たし、パリ五輪代表に内定した。左組みで得意技はともえ投げ、腕ひしぎ十字固め。162センチ。

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