18歳ダーニャ 祖国ウクライナに活躍届ける 関大相撲部主将にSOSで“友情ビザ”
ロシアのウクライナ侵攻から半年以上が過ぎた。戦禍の祖国を避難し、大相撲入りの夢を追い、約8200キロの距離を越え、4月に来日した18歳のウクライナ人力士がいる。愛称「ダーニャ」ことダニーロ・ヤブグシシンさん。「日本に行けませんか?」-。1度しか会ったことのない関西大(大阪府吹田市)の相撲部・山中新大(あらた)主将(23)を頼ったSOSから“友情のビザ”が発行。同部の土俵で祖国を思い、四股を踏んでいる。
終わりの見えない軍事侵攻、稽古のできない日々…。頼れるのは相撲の絆しかなかった。2月末、ウクライナ中西部ビンニツァの自宅を離れ、母・スビトラナさん(44)の働くドイツ・デュッセルドルフに逃れていたダーニャ。3月8日に山中に緊急連絡した。
「Hi can i fly to Japan?(日本に行けませんか?)」
「調べてみる」と返信があり、そこからは早かった。ダーニャは山中のサポートでデュッセルドルフの日本大使館に渡航を申請。山中は日本政府機関の連絡を受け、両親とともに神戸市の自宅で受け入れる態勢を整えた。“友情のビザ”が発行され、4月12日、18歳は日本に降り立った。
稽古を関大相撲部でできるよう大学側にも了承された。土俵で切磋琢磨(せっさたくま)し、今や兄弟のように山中家で過ごす2人だが侵攻前に会ったのは1度きりだった。
2019年秋、大阪・堺市での世界ジュニア相撲。15歳で3位に輝いたダーニャの強さに引かれた山中が「ハロー」と話しかけた。すぐに意気投合。インスタグラムの連絡先を交換し、その後は相撲の話で親交を深めた。
ダーニャは17歳時、欧州選手権100キロ未満で最年少優勝した逸材。5年前に初めて大相撲の映像を見た。「貴乃花と朝青龍の対戦が1番面白い!!」と、のめり込んだ。将来は大相撲入りの夢を抱くようになった。
昨秋、地元の国立大学に入学。順風な人生を暗転させたのが2月24日の侵攻だった。
「信じられない。この2022年に戦争?異常だ。ロシアはフェイクニュースばかり。ウソを多くのロシア人が信じている」。競技で交流のあったロシアの友人とも断交した。
7月中旬、故郷ビンニツァもミサイル攻撃を受け20人以上が亡くなった。「友人がガラスの破片で血だらけになった」と言う。
破壊される美しい祖国、日々失われる命を思わない日などない。しかし戦禍に夢を奪われるわけにはいかなかった。「私は夢を選んだ。相撲が一番。夢は大相撲」。18歳は日本で一心に四股を踏む。
「母のボルシチ(祖国の代表料理)が食べたい」。悲しみに押しつぶされそうな日もある。癒やしてくれるのは居住する山中家の“家族”だ。「日本のお母さんはボルシチを作ってくれた。(山中家は)ウクライナの家族に似ているんだ」。ご飯と鍋が好物で体重は来日後10キロも増えた。
“兄”の山中が7月、大相撲名古屋場所に連れていってくれた。「めちゃくちゃ楽しかった。ワカタカカゲに優勝してほしかった」と、かまずにしこ名を言える程、あこがれの関脇若隆景(荒汐)を生で見て興奮した。
窮地を救った山中は「日本にいてできることはそんなにない。少しでもサポートしたいと思った」と思いを明かす。“弟”の相撲への情熱、人柄が大好きだ。実力もホンモノで稽古ではいつも完敗。「レスリング仕込みで動きが速い。全日本学生で8強の力は十分にある」と舌を巻く。
ダーニャはすぐにでも角界入りを希望。「活躍をウクライナに届けたい。関取になって家族を日本に呼びたい。目標は三役」。選んだ相撲道を迷わず進む。
◆ウクライナと相撲 “昭和の大横綱”大鵬(故人)の父がウクライナのハリコフ州出身。引退後の2002年、大鵬も自身のルーツである同地を訪問し感銘を受けた。ハリコフ州では相撲大会が開かれ「大鵬幸喜大会」と名付けられている。
1997年にウクライナ相撲連盟が設立。同連盟によれば現在の競技人口は3000人に増え、各地に18の相撲クラブがある。
侵攻後、同国の代表選手を日本は受け入れ6月、大分県宇佐市、愛媛県西予市などが合宿地を提供。7月、米国で開催されたワールドゲームズで男子中量級のワジャ・ダイアウリらが優勝。男女で金3、銀3、銅3のメダルを獲得し日本に次ぐ2位の成績を収めた。
大相撲では同国出身の幕下獅司(入間川)が活躍している。
◆ダニーロ・ヤブグシシン 2004年3月23日、ウクライナ・ビンニツァ出身。幼少期から柔道、相撲、レスリングに取り組む。17歳時、相撲100キロ未満で欧州王者、レスリングでU-18ウクライナ王者となった。14年のドンバス戦争でビンニツァに移転したドネツク国立大に昨秋進学しマネジメントを専攻していた。得意は右四つ、上手出し投げ。180センチ、115キロ。趣味はサッカー観戦。家族は両親、兄。





