バドミントン・桃田「元気や感動を与えられる試合で金を」 東日本大震災から10年

 バドミントン男子シングルス世界王者の桃田賢斗(26)=NTT東日本=がこのほど、2011年3月11日の東日本大震災発生から間もなく10年を迎えるにあたり、インタビューに応じた。中高時代を福島県で過ごし、富岡高(現ふたば未来学園高、福島県双葉郡富岡町)1年時に被災。“第二の故郷”への思いを語るとともに、今夏の東京五輪に向けて「元気や感動を与えられるような試合で金メダルを取れたらいい」と恩返しを誓った。

 「桃田、こっちに来い!!」。10年前の3月11日。単身、インドネシアでの強化合宿に遠征していた桃田は、血相を変えた関係者に呼ばれた。テレビに映っていたのは、東北を中心に東日本を襲った悲惨な光景。「仙台空港が映っていて、ほとんど流されているような感じだった。最初は何が何だか分からなかったけど、少しずつ、地震が起きて津波が発生したんだなと…」。1人だけ取り残されたような不安に襲われた。

 すぐにチームメートに電話を掛けたが、夜まで回線がつながらなかった。予定通り翌日に帰国したものの、福島には戻れず、香川の実家に身を寄せた。「チームの人たちは大丈夫かなと。原発が爆発した時は本当にやばいんじゃないかなと。ゾッとした感じだった」。突然帰る場所を失い、途方に暮れた。

 富岡高は福島第一原発事故の警戒区域に含まれたため、県内外の分校に分散。バドミントン部は福島県猪苗代町に移り、11年5月から活動を再開できた。桃田は5年ほどたった後、震災後初めて被災当時の校舎に入ったが、思い出の廊下も教室も壊滅状態だったという。「想像を絶するくらいぐちゃぐちゃになっていた」。さらに、「めちゃくちゃきつい練習をした体育館は照明が全部落ちて、ガラスが割れて…言葉が出なかった」と爪痕の大きさに絶句した。

 10年という節目を迎えるが、3・11の記憶が薄れることはない。「今でも震災が起きた瞬間というか、ずっとインドネシアに取り残されている孤独感は忘れない」。桃田自身はリオデジャネイロ五輪直前の16年に不祥事で謹慎。昨年は1月にマレーシアで交通事故に遭うなど競技人生のピンチに直面した。そのたびに福島を訪れ、復興を目指す姿や、現地の人からの激励で、ラケットを握る原点を思い出した。

 「だんだん年月がたつにつれて忘れていってしまう人たちがいると思うけど、絶対に風化させてはいけない。そういう意味でも自分が活躍することには意味があるんじゃないかと思う」。苦難を乗り越え世界一にも輝いたが、華美な舞台に立っても、胸の奥には被災地への思いがある。

 「10年の節目で、自分の状態がすごくいい時に東京で五輪が開催されるのは何かの縁がある。前回(16年)はたくさんの方を裏切り迷惑を掛けてしまった。そういう中でも支えてくれた方々への感謝の気持ちをしっかりと持って、悔いなく戦うのもそうだし、元気や感動を与えられるような試合をして金メダルを取れたらいい」

 繰り返す「感謝」と「恩返し」の言葉には、苦節と戦ってきた桃田と福島の10年分の思いが詰まっている。

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