稀勢の里の父・貞彦さん 愛息の引退信じられず「なんとも言えない」

 第72代横綱稀勢の里(32)=本名萩原寛、田子ノ浦部屋=が16日、現役引退を表明した。進退を懸けた初場所3日目、平幕栃煌山に力なく寄り切られ初日から3連敗。前夜、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)と話し合い、決断した。この日、都内・両国国技館で引退と年寄「荒磯」襲名会見を行い号泣。故障に苦しみ再起はかなわなかったが「一片の悔いもない」とボロボロになり17年に及ぶ土俵人生に幕を下ろした。17年初場所で悲願の初優勝を果たし19年ぶり日本出身横綱の誕生。相撲人気復活の立役者は今後は親方として弟弟子の大関高安ら後進を指導する。

 愛息の引退報告に父・貞彦氏は信じられない思い。電話取材に「聞いている。なんとも言えない」と言葉少なだった。幼少期からボクシングなどさまざま競技で英才教育を施し、強靱(きょうじん)な肉体の土台を父子で作った。32年の時を思い、言葉が見つからなかった。

 昨年8月9日、夏巡業は稀勢の里が中2まで育った茨城県龍ケ崎市で開催された。朝、会場に入る前、実家に立ち寄った。覚悟を決める秋場所へ向け、心配する両親に元気な姿を少しでも見せたかったのだろう。滞在はわずか10分程度だった。

 父はずっと食事面を助言してきた。稀勢の里は2年前のリハビリ中に一時、184キロまで体重が増えた。力士は通常、朝稽古後と夜の1日2食だが「普通の人のように3食がいい。断食も1カ月に1回」と勧めた。今場所は177キロとベスト体重をキープしていた。

 実は昨年の夏場所直前、稀勢の里は胃腸を痛めたことで急激に力が入らなくなり、全休に追い込まれていた。「重圧で内臓に負担がかかったんでしょう。メンタルはそんなに強くないから」。自らは17年に胃がんの手術を受けた身ながら、常に愛息を心配し続けた。

 母・裕美子さんは「コーヒー入れておいて」との愛息の言葉にビックリ。「えっ、コーヒーなんて飲むようになったんだと。大人になったもんだね」。甘えん坊だった寛少年を中学卒業後、角界に送り出してから17年。“しぶさ”の分かる大人になっていた。

 食卓に並んだ食事は何でも残さず食べた。お菓子、ジュースは口にしない。おやつは母手作りのおにぎり。中3で183センチ、体重90キロ。入門時、先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)から「嫌いなものはありますか?」と尋ねられた時、両親と寛少年は顔を見合わせた。ひねり出した答えが「フォアグラ」。先代師匠は「フォアグラは部屋で出ません」と大笑いしたという。

 その後、3人で部屋の食事に招かれた際、焼き鮭の皮を両親の分まで3人分ペロリ。「親の分まで鮭の皮を食べる子は初めてだ」と感心させた。先代師匠はうどん、ラーメンを手作りし、ちゃんこも栄養にこだわり抜く食育の人。頑強な体は両親、角界の父と最高の環境で作られた。

 「心臓から汗をかけ」、「土俵際がおもしろいんだ」。先代師匠の言葉を刻み、猛稽古で駆け上がった。30歳を超えても稽古場では20代をスタミナで圧倒してきた。「力はあり余っている。引退するとなれば本人も燃焼し切れなくてつらいでしょう。やり残しあるでしょう」。父はそう思いやっていたが幕は下りた。

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