【67】アオダモの植樹 プロアマの垣根越え木製バットを次世代に

 「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」

 「田名部さん、バットの木、アオダモの資源が枯渇しようとしている。何とかしたいが協力して欲しい」と故大本修先生(元芝浦工業大学学長)から連絡をいただいた。

 21世紀を翌年に控えた2000年の春ごろでなかったかと思う。高校野球では1974年から金属製バットに変わっているので木製バットのことは疎かになっていた。

 大本先生は、金属製バットの安全基準づくりに貢献された先生だが、同時にプロ野球コミッショナーの諮問機関である「バット問題諮問委員会」委員長として木製バットも調査しておられた。

 85年ごろにはプロ野球でバット折損問題を研究されており、ある時先生は「プロ野球のバットが良く折れるのは手袋のせいだと思う」と話された。

 「仮に手袋の厚みが1ミリだとするとバットを握ると両面で2ミリになる。グリップの太さは大体24ミリ前後なので、自分の感覚にフィットするには素手より2ミリ細くなる。だから折れやすくなる」という。

 また「日本原産のアオダモは固くて粘りがあり、バット材としては最高だ。ホワイトアッシュなどの外材よりはるかに良質だが、北海道での生産が難しくなっている」という。原木を切りだし製品化するには林道近くにあって、効率よく搬送しなければならないが、計画的に植樹しなければコストがかかる。

 そこで大本先生の提唱で「アオダモ資源育成の会」を立ち上げることになり、プロ野球を始め社会人、学生野球の関係者も協力することになった。

 00年10月に北海道苫小牧の国有林で、記念植樹が行われ、林野庁の伴次雄長官ら北海道庁、北海道大学ら植林関係者を始め野球界の各代表も参加して120本のアオダモの苗木が植樹された。苗木は鉛筆を少し太くした約5年物の苗木だった。成木になってバット材として資源利用できるまでに何と70年以上かかるという。

 今なすべき事業で、自らのためではなしに、次世代、それも孫とかひ孫の時代にバット材を残そうというのは何ともロマンのある話であった。

 翌01年、21世紀最初の年は、7月に札幌でプロ野球オールスターゲームが開かれることになり、その前日に古田敦也さん、松井秀喜さん、松坂大輔選手ら、当代一流の選手がこぞって参加してくれ、大いに機運が盛り上がった。

 03年には、第85回選手権大会の記念事業として日本高校野球連盟も朝日新聞社と協力して全都道府県の主球場にアオダモの苗木と記念のプレートを贈り、選手権大会開催時に植樹してもらった。

 ところでアオダモの苗木は当初北海道大学の演習林などで育成してもらってきた。植樹にかかる経費はプロ野球からの助成金と一般からの寄付で賄っているが、その公募で、キャンペーンにふさわしい呼び名が必要と思い、旧知のスポーツジャーナリスト、マーティ・キーナートさん(現仙台大学副学長)に相談したところ即座に「Bat forever」を提案してくれた。

 またロゴマークは、高校野球の発祥の地・豊中メモリアルパーク記念碑など数々の作品を制作してくれた彫刻家の田村務さん(現山口・梅光学院大学特任教授)が担当して下さり、公募の資材としてバッジや植樹プレートに今も活用している。植樹は16年間ですでに1万3千本を超えた。ちょっと心配なのは鹿が苗木を餌にすることだ。当面は鹿対策のネットを張るしかない。

 今年も今月17日に苫小牧の国有林でプロアマ関係者が協力して植樹が行われる。

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