勇者の魂は永遠に― 連載コラムで振り返る知将・上田利治の素顔

阪急黄金時代を築いた名将・上田利治さんが7月1日に亡くなった。デイリー本紙で16年5~8月に掲載され「人間再発掘シリーズ~気骨で生きる 知将・上田利治~」の内容を中心に、稀代の名将の素顔を振り返る。

公開日:2017.7.5

 阪急が第5戦で3勝2分けとし、敵地で王手をかけた試合後のこと。宿舎に戻るバスに乗ろうとした上田の足下に、五十絡みの男が近づき、土下座した。
 「上田さん、頼むけえ、1つだけ勝たせてくださいや」。懇願である。
 上田の反応がいい。
 「アカン!それは聞けん!アカン!」【第26回・16年7月13日付】

78年日本シリーズ第4戦 王手まであと1人も情で負けた 第7戦「1時間19分猛抗議」の呼び水に

 「(上田)監督の投手交代はいつも2秒か3秒。ベンチから球審に声をかけて終わり。決断が早い。向こうが代打ヒルトンを告げたから即刻、こっちも山田と合図を送ろうと思ったら…」
 球審がホームベース上の砂を掃いている。お尻を阪急ベンチに向けて掃いている。【第32回・16年7月26日付】

スコアラーだった金田義倫の回顧が続く。
 「球審がそんな格好だから、監督は(珍しく)マウンドへ行ったんです。先発の今井を労(ねぎら)うために。そしたら、集まっていた内野手から『あと1人です。雄ちゃんで』と願われ、監督が交代を引っ込めたんですね」
 今井続投。ヒルトンの逆転2ランは左翼ラッキーゾーンに飛び込んだ。【第33回・16年7月27日付】

今井雄太郎(右)と上田利治監督

※78年の日本シリーズ第4戦。王手まであと1人にこぎつけた阪急だったが、情に負けたのかエース山田久志を投入せず、続投した今井雄太郎が逆転本塁打を浴びて2勝2敗のタイに。王手なら一気にカタをつけ、1時間19分の抗議を生んだ第7戦までいかなかったかもしれない…

勇者最後の将として―1988年10月23日、西宮球場最終戦でのあいさつ

 「今回の話を聞いたときは夢であってほしいと思いました。でも、ユニホームが変わっても、勇者魂は死にません。ブレーブスは阪急のものでもオリックスのものでもありません。ファン1人ひとりと選手1人ひとりのブレーブスです。みなさんがおられる限り、ブレーブスは永遠に生き続けます」【第38回・16年8月4日付】

阪急ブレーブスとして最後の試合を終え、ファンにあいさつする上田監督=1988年10月23日、西宮スタジアム

歴代7位1322勝、3年連続日本一の栄光は永遠に色あせぬ

通算2574試合1322勝1136敗116分け、勝率.538。実働20年で優勝5度と2位8度、3位1度でAクラス14度、Bクラス6度―。
 勝利数は歴代7位。5人の監督しか成し遂げていない3年連続日本一の偉業。その戦績の輝かしさは今も色あせない。まさに「知将」である。【第36回・16年8月4日付】

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