迫田穆成氏が死去 広島商の選手&監督で夏の甲子園優勝 23年秋季大会でも竹原で指揮

 高校野球の広島商で選手、監督として夏の甲子園で全国制覇を果たした迫田穆成氏(現竹原監督)が1日午前、がんのため広島県三原市の病院で死去した。84歳だった。通夜は3日午後5時から、葬儀・告別式は4日午前11時からいずれも広島県竹原市東野町885、長善寺で。喪主は長女岩川智子(いわかわ・のりこ)さん。細かな作戦を駆使した“広商野球”で日本の高校野球を席巻するなど、多大な功績を残した。

 迫田氏は、広島商の選手として1957年に、広島勢戦後初となる夏の甲子園での優勝を果たした。67年には同校の監督に就任。佃正樹、達川光男らを擁した73年の春のセンバツでは、準決勝で難攻不落の怪物・江川卓を擁した作新学院を下して準優勝。同年夏の甲子園では、全国制覇を成し遂げた。

 日本一を勝ち取った中で、重盗やスリーバントなどを駆使した緻密な野球は“広商野球”と称された。また、そういった細かな作戦を遂行する上での精神鍛錬として、72年には、戦前の広島商の伝説ともなっていた“真剣の刃渡り”を復活させたこともあった。

 93年からは、如水館の前身にあたる三原工の監督に就任した。甲子園に春夏通算8度出場するなど、ここでも手腕を発揮して、強豪校へと導いた。また、弟で、現在は福山で監督を務める守昭氏は広島商、広島新庄で甲子園に導くなど、兄弟で広島高校野球界を支えてきた。

 2019年7月からは竹原を指揮し、今年の秋季広島大会でも指揮を執っていたという。同校の梶白博志校長は「今朝、ご家族から連絡がありました。11月上旬ぐらいまで練習を見に来られていたし、中旬にはお話をして、体調が悪いそぶりも見せず練習試合のことを話していました。立派な人で周りに気を遣わせないようにしていたのでしょう」と語っていた。

 ◆迫田 穆成(さこた・よしあき)1939年7月3日生まれ。広島市出身。55年に広島商へ入学し、57年夏は主将として全国制覇。67年に同校監督に就任し、73年の春センバツでは準優勝、同年夏優勝などの成績を残す。93年に三原工(現如水館)監督となり、同校でも8度の甲子園出場(うち夏7度)を果たし、2011年夏はベスト8。19年7月から竹原を指揮していた。

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