【野球】野村克也さん 阪神への“遺言”「キャッチャーを育てろ」

野村克也さん=東京都千代田区の小学館(撮影・西岡正)
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 元監督・野村克也さんの阪神タイガースに対する提言、いや“遺言”に、耳を傾けてほしい。実は野村さんは記者から「ノムさん」と呼ばれることを嫌う。なので、野村さんと呼ばせていただく。

 私が野村ヤクルトの番記者をやっていたのは、1992年のシーズン。この年、野村“ID野球”が花開き、日本シリーズでは西武に敗れたが、ヤクルトが14年ぶりのリーグ優勝を勝ち取った年である。

 その野村さんが今回、小学館から「野村の遺言」という本を出版したということで、インタビューに応じてもらった。本は「『生涯一捕手』貫く著者の、最初で最後の本格捕手論」だが、インタビューは、らしさ全開の内容だった。話の中に、阪神浮上のヒントが詰まっていたように思う。

 まず、口をついて出たのは「キャッチャーを育てろ」という持論だった。元阪急監督の上田利治さん、元西武監督の森祇昌さん、そして野村さん…。かつて日本一に輝いたチームの指揮官はキャッチャー出身で、キャッチャー育成にこだわっていた。

 「阪神に限らず、12球団でもこれというキャッチャーはいない。(強い)チームを作るにはキャッチャーを育てないと。キャッチャーが育ったら、チーム作りは半分終わったようなもの」-と。

 今年の阪神は、育成出身の原口が台頭してきた。だが、それは打撃に関してのもので、キャッチャーという観点では今年も育たなかった。

 さらに、野村さんはチーム改革のために、首脳陣やナインに対し「とは理論」の重要性を指摘してくれた。「『野球とは』『勝負とは』を絶えず、自分に問うべきだ。それが問題意識につながる」。独特の口調が熱を帯びたが、これは問題意識を持たずに淡々と野球をすることが、根拠のない野球につながり「評論家泣かせの面白みのない野球につながっている」との憂いを抱いているためだ。

 また、改めて春季キャンプの重要性も説いてくれた。「プロ野球の1年の計はキャンプにある。本来、思考と行動には密接な関係がある。キャンプではその考え方のエキスを、注入しなくていけない」という。

 これらの辛口コメントも、阪神の監督時代にチーム改革が進まなかったことに「後悔」を抱いていることが大きい。野村さんは当時を振り返り、1年目のシーズン後に辞任を申しでて、当時の久万オーナーから「契約ですから3年やってほしい」と慰留されたことも明かしてくれた。

 それだけに、「(阪神の)監督をやったことは後悔」といいながらも猛虎再建について、名将は思考を張り巡らせていたに違いない。「野村の遺言」に込められた思い…。関係者はどう読み解くのだろうか。(デイリースポーツ・今野良彦)

 ◆野村克也(のむら・かつや)1935年6月29日生まれ。京都府出身。京都府立峰山高校からテスト生として南海ホークスに入団。1965年に戦後初の三冠王を獲得。1973年プレイングマネージャーとして初のリーグ優勝。その後、ロッテ、西武と渡り歩き1980年に引退。通算3017試合に出場、657本塁打、1988打点、打率・277。1989年に野球殿堂入り。1990年~1998年ヤクルト監督、1992年にリーグ優勝、1993年に日本一。1999年~2001年阪神監督、2002年~2005年社会人シダックス監督、2006年~2009年楽天監督。

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