26年ぶりV・専大の“男気”指揮官

 今春の東都大学リーグ1部で、古豪・専大が89年春以来26年ぶりの優勝を果たした。初代王者でもあり、32度目となった優勝回数はリーグ最多。今年メジャーから“男気”復帰を果たした黒田博樹(広島)ら、多くのプロ野球選手も輩出した。しかし、近年は2部で過ごす時期が長く、2000年以降は02年秋、07年春、13年春の3度、1部昇格を果たしても、1シーズンで2部に降格していた。

 2年ぶりに1部に昇格した今季は違った。開幕から6連勝。国学院大には連敗したものの、拓大との最終カードに連勝して69年春の日大以来46年ぶり2校目の昇格即Vを達成したのだ。

 チームを変えたのは、14年2月に就任した斎藤正直監督(55)だった。専大での現役時は、外野手として2度のリーグ制覇を経験。ベストナインにも2度選出された。川崎製鉄千葉(現JFE東日本)では、選手、監督として都市対抗に12回出場。監督退任後は16年間、橋や船の材料となる厚板の営業マンとして、社業に従事した。

 「もともと、常に何かやってやろうという性格」と自認するアイデアマン。自ら考案して導入した特徴的な練習に『専大8種』がある。逆手スイングやスクワット、指立て伏せなど8種類1セットのメニューを休みなく15分程度行う、打力強化のトレーニング。選手はこれを10セット、約2時間も続けることがある。就任2季目の昨秋に2部優勝。1部昇格を決めた入れ替え戦では、渡辺和哉内野手(4年・文星芸大付)が3試合連続弾を放つなど、効果はてきめんに表れた。

 そして、斎藤監督の本当のすごさは、伝統校ゆえの『しがらみ』にとらわれず、改革のアイデアを実行したことだ。就任時に招いたのは、ライバル校・中大出身の藤田康夫投手コーチ。当然、OBら周囲からは反対された。しかし、社会人時代に日産自動車での藤田コーチの指導力を目の当たりにした指揮官は「短期間でチームを再建するにはスペシャリストが必要」と、中大のOB会にも頼み込んで、招へいを実現した。

 今春の専大は、大野亨輔投手(4年・星稜)と堀田竜也投手(2年・常葉学園菊川)が、リーグの防御率1位、2位。大学日本代表の大型サブマリン、高橋礼投手(2年・専大松戸)も守護神として君臨した。

 さらに今春は、歴史あるユニホームを変更した。白地に緑のベースは同じでも、胸の「SENSHU」の文字をブロック体から左上がりの筆記体に。鮮やかな黄色の縁取りも施された。帽子も緑単色から、つばの部分が黄色に。遠目には、米大リーグ・アスレチックスにそっくりだ。

 これにも反対の声は少なくなかった。しかし、昨秋の入れ替え戦で指揮を執りながら、カクテル光線に照らされた旧ユニホームを見て「呪縛から解放されないのは、これなのかな」と、よぎった直感を信じた。選手には新デザインは好評。「“新生・専大”と割り切ろう。新しいチームを作るということでは、新興大学と一緒」と語りかけ、チームの一体感はさらに高まった。26年ぶりの優勝を果たした今、そのユニホームは復活の象徴だ。

 長い伝統がある組織に、変革を持ち込むには勇気がいる。しかし、斎藤監督は「伝統はあると思いますが、チームとは旬。今の人、今いる人間を主役にする。そのためには何が必要かを考えています」と、信念を明かした。「批判を受けながらね」とちゃめっ気たっぷりに笑ったが、常に部員を第一に思いやる姿勢にブレはない。

 ナインにも気持ちは伝わっている。主砲の渡辺は「メンバー、メンバー外に関係なく、1人1人を信頼してくれている。『この人のために勝ちたい』という監督」と表現した。優勝を決めた拓大戦では、1年間闘病していた父親を亡くし、告別式を前日済ませたばかりの中川龍斗内野手(佼成学園)を、九回2死から交代出場させた。歴史的優勝のウイニングボールをつかんだのは「監督には感謝してます」と話した、その中川だった。

 斎藤監督は、優勝した瞬間の心境を「選手がよくやったなと。ありがとうという感じ」と振り返り「これを取るまでに長かったなと。26年ですから。26年前、彼ら(選手)は生まれていない」と、ウイニングボールを手にしみじみと言った。

 伝統にとらわれることなく、体を張って変化に舵(かじ)を切り、人情にも厚い。苦境にあった古豪の再建を成し遂げた“男気”あふれる将は、神宮にまだまだ新しい風を吹かせてくれるに違いない。

(デイリースポーツ・藤田昌央)

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