G村田 先輩・相川&金城の加入に刺激

 プロ野球選手にとって、長年頑張ってきた証といえるのがフリーエージェント(FA)権。権利行使を表明した選手に、獲得を名乗り出る球団が現れれば、選手は自由にその球団と交渉できる。当然、実績と経験を積まないと取得できない権利なので、新天地に移籍が決まった場合は、その選手は即戦力として大いに期待される。

 巨人には昨年、2人の選手がFA権を行使して加入した。ヤクルトから相川亮二捕手。そして、DeNAから金城龍彦外野手。2人とも1976年生まれのベテラン選手だが、相川は正捕手、金城も外野手のレギュラーの座を虎視眈々(たんたん)と狙っている。

 2人の加入に、村田修一内野手は特別な思いを抱く。相川がヤクルトの前は横浜に在籍しており、村田にとって2人は横浜時代の先輩にあたる。「相川さんは2回目(のFA移籍)だし、2人とも実績のある方だから」と両者を立てつつ「報道陣の数も多いし、周囲の目が厳しくなる。勝たないといけないというプレッシャーも強くなる」と、常勝軍団ゆえの厳しさを語った。

 自身もFA権を行使して巨人に移籍したひとり。2011年オフだった。当時を振り返ってもらった。

 「僕も親会社が変わるタイミングだったし、新しいところでという考えもありました」。TBSの球団売却騒動で揺れ動いていた横浜。2011年から主将を務めた男にとって、移籍を決断することは簡単ではなかったが「でも、一番は家族のこと。家族に勝つ姿を見せたかった」と、最終的にFA宣言した。

 巨人入団後、不動の三塁手として君臨し、打線にも欠かせない存在として、リーグ3連覇に貢献。「3回も家族を優勝旅行に連れて行ってあげられたし、そういう意味では入って良かった」と話す。

 勝たなければいけないという重圧と、実際に結果を出さないといけない使命感。それが常につきまとうチームだ。横浜時代の2007年から2年連続で本塁打王を獲得した村田。だが当時と今とでは、自身の果たすべき役割、立場は変わってきている。

 「横浜の時のように1発本塁打を打って、お山の大将とか言われていた時と違って、小さくなったとは言われます」。

 2013年は自己最高の164安打。一発もあるが、コンパクトな打撃もできる打者。不動の4番だった横浜時代と違い、打順も変わる。状況に応じた打撃が求められる中、結果を残さなければいけない。

 記者は2014年末に巨人の担当になった。村田を取材するのは、横浜担当記者だった2009年以来、約5年ぶり。14年末のイベントで村田が2015年の目標として「シーズン最多安打」を掲げたのが驚きだった。だが、それが今の村田の形なのだろうと思う。

 ベイスターズが最後に優勝したのは1998年。当時在籍していた相川は1軍経験がなく、金城も入団後は、チームは優勝していない。「相川さんも金城さんも、勝ちたいと思って入ってこられていると思う。みんなで、優勝の喜びを分かち合えたらいいですね」。元横浜トリオでビールかけを。村田はそんな思いを抱きながら、2015年に挑む。

(デイリースポーツ・橋本雄一)

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