リンゴを握りつぶす82歳の素顔とは

 伝説の名レスラー、ダニー・ホッジ氏(82)が、5月31日に東京・高円寺のUWFスネークピットジャパンでトークイベントを行った。ジムの15周年記念で来日したホッジ氏は約2時間半にわたり、半生を振り返った。

 集まった年輩の男性中心の約50人は終始、いまだリンゴを握りつぶす82歳の話を真剣に聞き入った。ホッジ氏は、衰えない腕力について「子供のころからやっていた農場仕事で強くなったんだと思う。牛の乳しぼり、コットン畑で綿をつみ、200ポンド(約90・7キロ)あるような袋を片手で運ぶような仕事をしていたから」と説明。トークの合間には希望者に師匠エド・ストラングラー・ルイス直伝のヘッドロックをかけ、次々ともん絶させた。

 超一流のアスリートだったホッジ氏。レスリングの56年メルボルン五輪銀メダリストで、ボクシングでもアマで無敗、プロでも成績を残したが、“拳闘”は好きにならなかったという。五輪後に始めたきっかけも「『レスリング選手はファイト(けんか)のできないヤツら』と言われたから。レスリングの練習でブロック塀を持って走ってたから、グローブも重く感じなかった」と淡々と話した。

 59年のプロレス入りについては「ボクシングはお金にならなかったし、10対1でレスリングの方が好きだったから捨てた。ボクシングでお金がもらえなかったら、町のけんかと同じじゃないかと疑問に思った。マネジャーに『やめることはできない』と言われたけど、迷いはなかった。プロレスにいけば、レスリングもファイトも両方できると思ってやった」と明かした。

 その後は師匠ルイスからの「コンディションが一番大事。戦えるシェイプでいろ」という教えを守り、NWA世界ジュニア王者として大活躍。日本との接点も多く、ヒロ・マツダを最大のライバルとし、69年の来日時にはウイルバー・スナイダーとのコンビでジャイアント馬場&アントニオ猪木からインタータッグ王座を奪取してインパクトを残した。

 「マツダは強かった。アスリートとしても優秀だし、レスリング技術もあるし、コンディションがいい。60分ドロー、90分ドローもあったね」と懐かしんだ。同じルイスを師に持つ“鉄人”ルー・テーズについては「もちろん強い相手。偉大なレスラーでありアスリート。(68年の)日本での(TWWA)タイトル戦での勝利は印象的だね。テーズに勝つという現実に僕もショックだった」と語った。ちなみに、ホッジ氏のBI評は「猪木はタフでベリーグッド。馬場はスーパー。戦うことができたのは喜びだった。足を持ち上げることができないくらい大きかった」というものだった。

 トークで最も印象的だったのは「レスリング、アマボクシング、プロボクシング、プロレスリングをきちんとやったのは僕だけだと思う。4つを知ってるということは、どういう状況になっても戦えるということ」という言葉だった。穏やかな口調の中に確固たる信念が込められていた。

 プロレス界で“最強”の1人といわれたホッジ氏には、総合格闘技(MMA)についての質問も飛んだ。「いま地元の(米国)オクラホマ州のMMA協会でコミッショナーを務めているんだ」と返して会場がどよめくと、「当時MMAがあればやりたいでしょう。お金にもなるからね」とニヤリ。「テイクダウンできるだろうし、ひざ関節など短時間でギブアップさせる試合をする。自分たちの時代には、そういう商売はなかったから。腕を引っ張ってあばらにヒザを打ち込むかな」などと続けた。ただし「MMAはお客さんに技術を見せるものじゃない。勝つためにやるもの」と付け加えた。

 「お客さんは給料をもらって、それを使って試合を見に来てくれる。満足していただくためにやっていた」。プロレスラーとしての現役生活は約16年。44歳で引退を余儀なくされた。首を骨折し、リングを去る原因となった76年3月の交通事故さえなければ、まだまだ素晴らしい戦いを残したはずだ。テーズ、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンと並び称された男の来日は、今回が最後になるかもしれない。(デイリースポーツ・大島一郎)

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