羽生の金 本田氏、高橋大輔が一歩ずつ

 ソチ冬季五輪で、男子フィギュア初となる金メダルを羽生結弦選手が獲得した。人気、実績とも女子に先んじられてきた中での悲願の頂点だ。この栄冠は、ソチを最後の五輪としている高橋大輔、そして、高橋の前に男子フィギュアを引っ張ってきた現解説者の本田武史氏が、一歩ずつ歩を進めてきた末にたどり着いたものだ。

 長野、ソルトレーク五輪代表の本田氏は、14歳の時から日本のエースだった。16歳で長野に出場。国内開催でメダルの期待もかかったが、15位に終わった。まだあどけなかった少年は、母の手作りした着物風の衣装を身につけて一人重圧と戦った。

 ソルトレークでは4位とメダルを逃したが、その年の世界選手権では3位。佐野稔以来となる銅メダルを獲得した。世界のトップで戦えるたった一人の日本男子として10年近くを過ごした。

 高橋もまた、一人で走ってきた。トリノ五輪の2シーズン前の世界選手権で、エース本田が故障して棄権。五輪出場枠は世界選手権の出場選手の順位によって決まるため、高橋一人にトリノの日本男子出場枠が託された。しかし、結果は15位。トリノの男子出場枠は1つとなった。

 19歳で初五輪となったトリノで高橋は、「自分が枠を1つにしてしまった。結果を出したい」と責任感を口にしていた。しかし、重圧は振り払えず転倒して8位。当時の代名詞は「ガラスのハート」だった。

 本田氏の引退を受けて日本のエースとなった高橋だが、これは実績的にも急激な世代交代だった。当時はあまりに大きな荷を背負わされた印象だった。その後、織田信成、小塚崇彦らが台頭し、男子の層は厚くなり、高橋はバンクーバーで日本男子史上最高位となる銅メダルを獲得した。

 右膝の故障や、今回のソチ直前にも右すねを故障するなど波乱の選手生活だった高橋。ソチでも右足の状態は最悪だっただろう。

 しかし、彼の存在によって、羽生が本田氏や高橋のように、たった一人で重圧を背負うことはなかったはずだ。記者には高橋が痛む右足で、自身が初めて五輪に出場した時と同じ19歳の羽生を支えているように見えた。

 羽生の金メダルを伝えたテレビ中継で解説した本田氏は、努めて冷静さを装っていた。羽生の前に演技を終えた高橋は、解き放たれた笑顔を見せた。本田、高橋の2人のエースは、見事に羽生にその座を禅譲した。

(デイリースポーツ・船曳陽子)

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