嘉門達夫 被災者の怒りを代弁した歌

 震災から20年目の1月17日がめぐってきた。神戸のホテルで激震に見舞われた歌手の嘉門達夫(55)は、1カ月後に再び神戸に入り、“被災者の怒り”を歌に込めて避難所に笑いを届けた。自身のチャリティー活動の原点となった体験を踏まえ、これからの神戸へエールを送った。

 あの冬、嘉門は被災地に飛び入りで歌える場所があると聞き、再び神戸に向かった。神戸市東灘区の本山南中学校の避難所。被災地を歩いてたどり着いた、校庭のたき火の前。神戸の人々は笑ってくれた。

 「行くからには、被災者の思いをストレートに歌おうと。そしたら俺らの気持ちをよう言うてくれたとウケてくれましてね」。披露したのは、後に震災チャリティーのため発売した『怒りのグルーヴ~震災編~』。被災者の怒りを代弁した歌だった。

 「首相が視察に来たんがスイスの救助犬より遅かったとか、ソーセージが1本5000円もしてバカにしとんのか!とかね」

 震災直後から噴出した問題に歌で怒りの突っ込みを入れまくった。自衛隊出動や救援物資などをめぐり、何かと行政の「許可」手続きがスピードを鈍らせた問題。報道ヘリの騒音が救出活動の妨げになったとの批判、火事場泥棒、やじ馬観光客、便乗商法…。曲を聴けば当時の混乱ぶりがよみがえる。

 「2010年にも神戸で震災を風化させないために歌ったことがあって。そうやったなあという記憶の呼び戻しになり、若い人はそうやったんかと知ってくれた。当初は被災者が納得してくれたらと作りましたが、歌で残しといて良かったなと思います」

 避難所では、子供たちがサインを求めて長い列を作った。「色紙がないから汚れた紙とかにサインしましたね。大丈夫やったかと聞いたら『お父ちゃん死んでん』と言う子がいて。その父親を亡くした子がサインしたらうれしそうな顔をしてくれて。僕はこれくらいしかしてやれんけど…という思いでしたね」

 震災の前夜に、仕事で福岡に向かう途中、関西に寄り、神戸のホテルに宿泊して激震に遭った。近くの高架道路が崩れている中、駅に向かおうとしたが街にガスが充満していて引き返した。翌朝、淡路島への船が動いていると知り、岸壁が崩れた港から飛び乗った。

 「船長さんが義務感で出してたみたいで、それが最後の便。それまではラジオしかなくて、海の上で初めて神戸の街から煙が出てるのを見たんです。自分だけが脱出してきたような罪悪感がね」

 東京で泉谷しげる(66)らと募金活動などをはじめ、復興支援活動に力を注いだ。「あの日、あの場所にいたからでしょうね」。11年の東日本大震災時も炊き出しや支援イベントで積極的に動いた。

 一昨年、神戸での仕事後に本山南中学校に足をのばしてみた。「たき火があって、テントが張られてたグラウンドで、今は中学生が野球の練習してて。復興したんだなとね」

 街の復興を喜びながら思うところもある。

 「街はきれいに整備されましたが、人通りが少ない場所もあって、どこか魂が通ってないような気にも。違和感がなくなるには、何十年かかるのかなあ。昔の活気があって華やかやった時代のように。神戸、がんばってほしいなあ」

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