水谷実雄さん死去 猛ダッシュで選手から隠れた鬼軍曹「顔を合わしてしもたら、また怒らなあかんじゃろ」【悼む】

 広島・江藤智(右)を指導する広島・水谷実雄コーチ。左は前田智徳=1991年4月2日
本塁打を放ったブライアントを迎える(中)=94年9月
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 広島、阪急(現オリックス)で強打者として活躍し、引退後は広島、阪神、中日などでコーチを務め、名伯楽として数多くの打者を育て上げた水谷実雄(みずたに・じつお)さん=元デイリースポーツ評論家=が10日午後2時56分、兵庫県西宮市内の病院で心不全により死去した。77歳。葬儀は近親者のみで執り行われる。

  ◇  ◇

 現役時代はコワモテの強打者。コーチになれば鬼軍曹。水谷さんを“少し”知る向きにはそう映っていただろう。

 しかし“よく”知れば、その印象は一変する。宮崎と、広島と、関西が6・2・2の割合で絶妙にブレンドされた、少ししゃがれたイントネーションで、繰り出すトークは周囲を笑顔にする。

 万人の知るところではあるが、お酒好き。でも悪い酔い方は一度も見たことがない。居酒屋の近い席に野球少年とおぼしき姿を見るや、あの声で「おい、ちょっと靴脱いでみい。力を入れるのは、ここや、ここ!」と野球教室が始まってしまう。根っから野球が好きで、プロの選手も含めた子どもたちが大好きだった。

 近鉄コーチ時代。ナイターが終わり、飲み会も終えた水谷さんが宿舎ロビーでのんびりしていると、成績不振で外出禁止を申し渡していたはずの中村紀洋選手がご機嫌で帰ってきた。

 水谷さんは猛ダッシュで柱の陰に隠れたそうだ。「顔を合わしてしもたら、またノリを怒らなあかんじゃろ。そりゃ、かわいそうよ」。そういう人だった。

 他人の悪口は一切言わない。人を利用することもおとしめることもない。だから、あれほどの人でありながら、スーパースター扱いされないのが少し歯がゆかったが、本人はそれが心地良かったのかもしれない。

 「おーい、にししたぁ。また飲(や)ろうぜえ」。“あの声”が、まだ聞こえる。(デイリースポーツ・西下純)

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