北別府学さん葬儀で大野豊氏ら号泣「ペイ、65歳早すぎるよ」【弔辞全文】通夜で黒田博樹氏も涙
プロ野球・広島で活躍し、16日に死去した北別府学氏の葬儀が19日、広島市中区の玉泉院中央会館で営まれた。広島OB、球団関係者など191人が参列し、故人との別れを惜しんだ。
祭壇は、旧広島市民球場の写真を背景に花でグラウンドが描かれ「H」のマークがかざされた。ひつぎは、カープカラーの真っ赤なものだった。
弔辞は、現役時代に共に戦い「投手王国」を築いた、広島カープOB会会長の大野豊氏が読んだ。大野氏は遺影を前に号泣し、言葉を詰まらせながら故人との思い出などを語った。
18日、通夜に参列した黒田博樹氏も涙が止まらなかった。「本当にビックリしましたし、本当に最後まで頑張られたのかなと、そういうのを感じました」と語り、コーチと選手の間柄だった現役時代の思い出に言及。「たくさんアドバイスをいただいて、ピッチャーとして、そしてエースとして、体の中に本当にアドバイス一つ一つがDNAというかね、そういう体の中にしみこんでいったと思いますし、それがあったから今の自分があると思います」と感謝した。
ひつぎには家族との写真や手紙、カープのメガホンやタオル、大好きだった焼酎が入れられた。14時42分に出棺し、その後は旧広島市民球場前を通って火葬場へ向かい、荼毘(だび)に付された。
【大野豊氏の弔辞全文】
謹んで友人・北別府学君のご逝去をいたみ、御霊前に、お別れの言葉を申し上げます。
北別府学君、いや選手時代と同じ様に「ペイ」と呼ばしてください。一緒にカープのマウンドを必死に守ってきた、大野豊です。
「ペイ」。65歳早すぎるよ、悲しいし、残念でならないよ。
OB会で一緒に野球をしたり、子供達を指導したりして、楽しくやりたかったのに。現役時代は、ライバルでもあり、また助け合いながらお互い一目置く良き友でしたね。
「ペイ」の精密機械のようなコントロールを身に付けるには、また投手としての考え方など多くの事を学ばせてもらい成長する事ができました。感謝しています。本当にありがとう。
昨年の3月21日のカープレジェンドゲームの時「ペイ」はわれわれと一緒にマツダスタジアムのマウンドにいました。背番号「20」のユニホームを私は着て満員のファンの皆さんに見てもらいました。覚えていますか?一緒でした。これからもわれわれはずっと一緒です。
カープ球団生え抜き初の200勝投手北別府学。その勇姿を忘れることは決してありません。私の心の中でずっと居続けています。どうぞ安らかに、お眠り下さい。
「ペイ」さようなら。
令和5年6月19日、広島カープOB会会長 大野豊



