黒田、日米通算200勝!史上2人目、耐えて咲かせた栄光の花

 「広島7-0阪神」(23日、マツダスタジアム)

 耐えて、耐えて栄光の花を咲かせた。広島の黒田博樹投手(41)が阪神17回戦で日米通算200勝を達成した。王手をかけて3度目の登板で7回5安打無失点。115球の熱投で白星を手にした。日米通算では野茂英雄に次いで日本選手2人目の偉業。チームは連勝で今季阪神戦勝ち越しを決め貯金は最多22。最短で26日に優勝マジック38が点灯する。「先にある大きな目標」に向かって41歳は歩みを止めない。

 揺れた。「最高の球場」が赤く揺れた。

 黒田が笑っている。新井から記念レリーフを贈られ、握手を交わす。7回5安打無失点で7勝目。日米通算で積み上げた勲章が200に達した。「一番はホッとしてます」。円熟の投球術が光る115球の“圧投”だった。

 「最高のチームメートと最高のファンの前で、最高の球場で勝つことができた。自分自身も感動しています」

 大量援護に守られながら、迎えた七回。2死一、二塁のピンチを背負った。打席には荒木。追い込んでから4球目、最後のボールは144キロツーシームだ。代名詞となった、ボールの軌道からストライクゾーンに入る“フロントドア”。見逃し三振を奪い、ほえながらマウンドを降りた。

 苦節20年。毎日が闘いだ。朝、起きてすぐ体を触る。首や肩、肘。「リカバリーできている日は少ない」。体は限界を超えている。登板前には右肩、腰に塩を塗り込む。「痛みが取れたら苦労しないよ」と笑うが、努力に神頼みも欠かさない。

 転機は2004年。2年連続で任された4月2日の開幕・中日戦で6回2/3を8失点。ベンチ裏で「このままじゃダメだ」と涙を流した。帰りの新幹線車中。野球雑誌で目にした動作解析の施設に自ら電話した。一から投球を見直して、同年にはアテネ五輪に出場。中継ぎで2勝し、銅メダル獲得に貢献したが、帰国後すぐにシュートの習得に挑戦。翌05年の最多勝につなげた。

 「行き着くところはプロである以上、結果を残し続けないといけない。グラウンドに立ち続ける以上は、相手に勝ち続けないと残る権利は得られない」

 全盛期は150キロ超の直球とフォークが主体。スタイルの変化に「当然葛藤はあった」と言う。だが投手である前に、プロとして生きざまを探した。プロ入りを諦めかけた高3の夏。父・一博さんに「お前の夢は何だったんだ」と問いかけられた。変化は進化だと信じて生きた。変わらなければならなかった。

 「中学3年の時に、上宮の入学が決まってから、楽しかったことは一度もないよ」。振り返るのさえ嫌う日々にも実は2度、充実感を覚えた試合がある。ヤンキース時代の13年7月31日、古巣ドジャース戦でカーショーと、初めて投げ合ってチームが勝利した一戦。そして、14年9月25日のオリオールズ戦、ジーターの引退試合だ。

 同戦では初回に2者連続被弾。「舌をかみ切って死んでやろうと思った」と笑う。球場の祝福ムードは一転。大ブーイングに死を見たが、盟友のサヨナラ打で勝利した。「生まれ変わったら3番・ショートで野球がしたいな」。200勝には含まれぬ“2勝”だが、プロ20年、計525度の登板で心躍った2試合。勝利に徹した男の矜恃(きょうじ)だ。

 「チームのために201勝目に向けて準備したい。本当に大きな目標に向かって、全員で戦っていきます」

 200勝の登板は生涯の3試合目に記憶されるだろうか。「待ってくれる人がいる」と復帰を決め、広島の街、ファンを思い「帰ってきてよかった」と言った。変化を恐れぬ軌跡の先にあった奇跡。耐えて手にした200勝。まだ見ぬ頂点へ。夢にはまだ続きがある。

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